2009年8月24日 (月)
Home & Form 1
なんか、最近みんな twitter でリアルタイムで居場所などを把握しているみたいですね。iPhoneも併用して、斉藤団長やエドにヒルトンさんも、かなりエンジョイしているみたいです。
オレは仲間はずれなのか?(;◔ิд◔ิ) !!!
というか、24時間どこにいたのかなどと把握されてしまうのがイヤだ。わしには向いていません。(๑→‿ฺ←๑)
東京に出てきたヒルトンさんと新宿で待ち合わせし、場所がわかりづらいかもしれないと思っていたが、iPhoneのGPS機能とGoogle Earthを使って、難なく到着していた。
目に焼きつく風水の龍穴とそのフォームを追い求める日本全国縦走の過程で、手に入れたのはフォームではなく、かけがえのない仲間たち、ホームだった。
東京に上京した全国の仲間たちが、寄り添うことが嬉しい。東京ホームなどと呼称しているが、ぼくらのホームは、別に東京でもないし、実際にホームと呼ばれる場所があるわけでもない。
だって、オレたちは心で繋がっているんだ。そして、この心に宿すテーマが「風水」の二文字という繋がりで、ぼくらの心にはいつだって、風が吹いていて水が流れ込んで来ているのかもしれない。きっと、ホームってそんな場所なんだ。
だから、ぼくは本当のホームを演出するために、幾つかの教材を持っていき風水漫談に耽る。そう、ホームは風水を学ぶ学び舎であり、そんな学びを仲間に提供するのが、ぼくの仕事なのだから。みんなが安心してホームに戻ってこれる。そんな、みんなのホームでありたい。そのためには、今年からフォームを示そうと思う。
日本の大地に根付くものでありたい。そのためには、自分の学んできたものを自己満足のためだけにもてあましたくない。風水山道・通信講座 では、「その時、その瞬間、このような結論を出すのに到った。そして、結果は導き出された。」という、ぼくの経験則と思惟。そう、ぼくの風水思考を姿・形あるものとして示して行きたい。それは、ぼくが生きてきたことに他ならないから。
『完全定本 実践地理風水大全』では、紙面と求められる読者からの情報性の違いから触れる程度でしかなかった情報を示さなければいけないと思う。例えば、193ページに触れている部分がある。
「良い龍穴は子孫を数代にも渡って加護するとされるが、良くない龍穴では凶悪な一瞬の出来事のような災いが発生し、瞬く間に人を不幸にするという。そのため、龍穴の真偽を見極めることは非常に大事なことで、風水を見極めることと同義でもある。」
夏はまだ苦手だな。
真夏の夜を襲った「凶悪な一瞬の出来事のような災い」を思い出す度に吐き気がする。
「何で防げなかった?」
そんな自問自答と、狐に化かされたように記憶から消されて行く地図をただうろ覚えにして、何度も探しに行った。途中から何を探しているのかわからなくなって、気づけば何もかも失っていた。
「何を探しているの?」
そんなシーンは積み上げられ、一人の人間では背負いきれないほどの荷物(運命)になって、想いを吐き出せずにいたとき、「痛い記憶を最後に寝たフリをしていた」のかもしれない。
鍾進添老師は運命を次のようにおっしゃる。
鍾進添老師:「占術で定められた運命がただ起こるのではなく、人間の自由意志こそが、運命を凌駕する。」
この一言を聞いたときに、鍾進添老師がまがうことなき本物だとわかった。
前へ、前へ進めと声がする。それは、声にすがるのではない。すがるだけじゃ駄目なんだ。
あの日、解けなかった疑問から、解放されるためにぼくの旅は、まだまだ続いている。続いているように思われる。もちろん、それは様々な運命の偏光に導かれて夢をチラつかす。
ホームをつくろう!まずは、自分のできる場所から!
だから、フォームを示そうと思う。
それは自分が生きてきたことに他ならないし、吐き出せずにいた想いに他ならない。
想いが溢れ過ぎちゃって、言葉に、カタチにならなかったけれど、今がそのときだ。
<関係ページ>
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コメント
先生のブログの内容、タイスンから通訳してもらいました。
とても感動しました。
ホームとフォームのコンセプトはとてもamazingです!
みんなフォームを持たないで、ホームを探しています。
先生のブログを読んでから、フォームが無くて、ホームは建たないと思いました。
Trueフォームを見つけるまで、時間と信念と忍耐と知恵が必要だと先生から感じました。
一旦Trueフォームを見つけたら、Trueホームへの道のりにいるのでしょうか?
今日先生の教えてくれたことから、わたしはフォームが無いことに気づきました。
いろいろ教えてくれてありがとうございます。
今週末の講座を楽しみにしています!
Deiji |
[URL] | 2009/08/25 2:10:07
風水の宴
あっという間に過ぎ去って、興奮の為帰りの車中眠れず。
ありがとうございました!
ホーム、現実の村のみならず仮想現実のホームにも期待してます。
地方在住者としては、学習のみならず検証、検討する場がほとんど無い・・
故にネットに頼らざるをえず。
しかしネットには悪魔が巣くう。。
天使のホームこそ山道組のホーム
(だからといって全員丸坊主じゃなくても良いよね?組長)
どちらのホームにも集える日が早く来ることを願いつつ。
ヒルトン |
[URL] | 2009/08/25 9:25:35
山道先生へ。
身近にいて講話とも言うべきご高説をよく聞かせ頂いておりますが、知れば知るほどわからなくなる人ですね。
でも言いたいことが確かに伝わってきます。
その投下して爆発するような感情の塊が人間的でいて、人間じゃない気がするのは私だけでしょうか?
例えば、今回のブログで表現された「吐き気」・・・ですか。
これは原題“La Nausee”は直訳すれば「吐き気」を意味しますよね。
日本語訳では、『嘔吐』とされ、サルトルが1938年に著した小説のこととかけていますね。
サルトルはカフカの影響を色濃く受けていますが、山道先生も聚珍本の『死の都』では随分とカフカに執着されたモチーフをテーマにしていましたよね。
思えば今回の「Home & Form」これはサルトルの『嘔吐』そのものであり、サルトルの実存的不安理論と類似していませんか?
彼の存在に対する嫌悪感は、半狂気、自己嫌悪、そして最後には彼という存在の自然への開放を強いたとされていますが、よく似たものを感じてしまいます。
このホームとは実在であり、フォームとは存在のことですか?
『嘔吐』では、存在そのもの、実存する物が無ではなく何者かであるという性質自体が、主人公をゆっくりと狂気に追いやる物の正体とする内容でしたね。
サルトルの実存的不安理論を体現し、そのときまで彼の人生を満たしてきた全ての事象の意味を切望するというくだりと展開は、今回の「Home & Form 」のモチーフであるような気がしてならない。
勝手な解釈ですがね。
バン |
[URL] | 2009/08/25 15:17:50
デイズィ~
三角△ですな。(→ܫ←)
Trueホームなんてないよ。完全な実在なんて無いように。
「これが正しい」と決め付けたときに、自分の中の確かな可能性が死ぬだけ。
そして、あとはその確執と共に業が続いて行くのでしょう。
そこに求めたのは何か、もう一歩先に進んで見てみましょう。
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ヒルトンさ~ん
三角△ですな。(→ܫ←)
山道組のホームなんて無いですよ。これからみんなで作る「みんなのためのホーム」ならば心の中に建てられて未来に建てられて行きますが。
Not yet!(今はまだ)ですね。
だから楽しいんでしょうね。
目指す世界があるから。
皆で寄り添うがそれは決して己の孤独を満たすためのものではなく、己を高めあうものであってほしい。
だから、皆と会う会合ではガンガンお酒は飲むのですが、まったく酔えなくなってしまった自分がいます。( ゜ 3゜)
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バンさ~ん
二重丸◎ですな。ヽ(`△´)/
何も言うことはないです。
あんまり、ぼくの無意識にアクセスしないでね。 (。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
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ダニエル |
[URL] | 2009/08/25 15:32:28
ツイッターでは24時間居場所を知るほどの機能はないよ。
ログインしてつぶやくだけ。
ただ、つぶやきが今どこにいる的なつぶやきが多いのは事実ですが。
ちなみに携帯でもモバツイというサイトがあって参加できるので皆さん是非やってみて。
ちなみに今日の日経ワールドビジネスサテライトで特集がやるらしいです。
ヒルトン |
[URL] | 2009/08/26 11:12:25
ヒルトンさ~ん
執筆が終わって落ち着いたら、導入してみましょうかね。
ああ、自分を追い込んで書くのが快感だ。
締め切りは明日だが。(~-~)
ダニエル |
[URL] | 2009/08/26 20:22:32
こちらの記事を拝見しまして勝手な解釈をしました。
HOME=山
FORM=道
山は常に心の中に在り
そこへ辿り着くための道筋がFORMなのではないかと。
そしてFOMEは元をたどればその人の中から出てくる無限の道筋で、可能性と共に一つへ帰り着くための生き方そのものなのではないか。
心の中に動かざるものさえあれば、どんなFORMを選んでも必ず結果が後から付いてくる。
そんな感じを受けました。
失礼いたしました。
名無し |
[URL] | 2009/08/27 2:08:40
名無しさ~ん
王陽明の哲学にも似た解釈ですね。おっしゃることが良くわかります。
山を登る道は無数にあって、無数にあるから人は迷ってしまう。
頂を目指す登山家たち常に落石、落氷、雪崩の危険に晒され続けている。
来る者を拒む頂の巨大氷壁を目指すのならば、自分の身体より遥かに大きい雪の塊が時速200km近いスピードで絶え間なく襲ってくる。
そして、高所になればなるほど、そこにいるだけで身体の生理機能が失われてくる。
そう、頂を目指すものたちは常に自分の命の面倒を自分で見るしかないのです。
そんな厳しい道が頂きへの本当の道のように私には思えます。
だから、つい人は安易で楽な道を求めてしまうのかもしれません。
ダニエル |
[URL] | 2009/08/27 3:00:05
ダニエル様
お忙しい中ありがとうございます!
王陽明とは存じ上げなかったですが、今度読んでみたいと思います。
明日からの講演頑張ってください^^
名無し |
[URL] | 2009/08/28 18:13:46