今回は正直苦しかった。通信講座を四つ走らせ、ロー先生来日も手伝って、色々な事が重なると共に、『方剤大観』の編纂は遅れた。
多くの関係者及び、ご購入者に遅延の謝罪をいたします。
そして、ついに今日から発送開始です。
この最大の山場を迎えた状況に、掛川師兄とスタッフ一同の助けがなければ、『方剤大観』は世に出なかっただろう。
上・下巻。500ページ越えの張明澄老師による口述が編纂された『方剤大観』は、歴史の上からとんでもない価値を有している。どのくらいの価値を有して、我々が医学という「人の命を扱う」知識、技術に対して、どのような想いを以って、歴史に反旗を翻すのかをあとがきから説明させていただきたい。
『方剤大観』 あ と が き
クロード・レヴィ=ストロース著による『人種と歴史』には、貴重な東洋の医学と西洋の医学における相違点が、西洋人の視点で指摘されている。
「機械論の師である西洋人は、人間の身体というすぐれた機械の使用と資源について、きわめて基本的な知識を示している。それに対して、この領域でも、また身体と精神の間の関係という、これに結びついた領域においても、オリエントと極東は西洋に対して数千年の進歩がある。彼らはヨガや、中国数々の呼吸法や、古代マオリ族の内臓体操といった膨大な理論と実践をつくり出してきた」
たとえば、禅が「悟り」を非常に大切なものだと説いても、西洋人にとってはあってもなくても良いものであり、東洋が精神分野で勝っていると喜ぶのは、単なる独りよがりに過ぎないのかもしれない。
まして、医学のような生身の人間を扱う学問分野においては、必ず共通した目標に対する、アプローチの成功の程度を比べなければ、その優劣を論じることはできないのである。 「治療医学」において、西洋医学で治せなくて中国医学で治る病気は、さがせば数え切れないほど多いだろう。
しかし、中国医学で治らなくても、西洋医学で治せる病気なら、その数倍も多いはずであり、無知な漢方医や主観的な中国医学愛好家が、声をからして中国医学の素晴らしさを喋喋しても、おそらく気狂い扱いされるのがおちである。
東洋で「養生医学」と呼ばれるような健康・長寿法は、東西を問わず非常に大切な目標であるが、体質偏向の防止による健康・長寿の追求については、東洋の「養生医学」に圧倒的な分がある。この点は先の『人種と歴史』にも見出せるように、西洋人の認めるところである。
中国養生医学については拙著『養生大観』でも書いたが、膨大な理論体系と実践方法から形成されている。
築基法(天丹法)
食餌法(地丹法)
房中術(人丹法)
などに分別されるが、西洋医学に於いては、これらが持っている目標を持っていないのである。
現代は、治療と養生の両目標を兼ね備えた、新たな医学が求められる時代になったのではないだろうか。中国医学の中で、西洋医学の知識と技術を導入して、どのように活用するか、という張明澄老師の掲げた目標とは異なる時代の流れの中にあって、清朝末期に大発展した中国医学を振り返ることは、人類に素晴らしい知的財産を公開することであり、この度の編纂作業は一際のものであった。
中国医学は共産中国を経て、その理論と体系はメチャクチャに破壊され、使い物になら無い中医学となってしまったが故に、清朝末期の中国医学が大発展した要素から振り返り、間違った中国医学体系をもう一度正しい流れの中に還元する書として、この本ほど価値のある中国医学書は歴史上かつて存在すらしなかった。
清朝末期の動乱時代には、人材が怒涛の如く、仕途から医学に集ったことは、それだけ学問の差異を最も感じさせる分野であり、その発展の最大の要因は西学導入という学問の進歩によって成し遂げられた成果であり、発展であったのだ。
我々は社会科学者ではないが、是非振り返らなくてはならない問題として「存在が意識を規定するのか」、それとも反対に「意識が存在を規定するのか」という命題と共に医学を見つめなければならない。
清朝末期の大発展は、決して大発展の原因となる存在要素があったのではなく、むしろ西学導入という意識要素が最大の原因である。存在が主因になっている場合は、直接的に医学に影響を与えるのではなく、必ず先に意識を規定し、更に意識が医学を規定するのである。つまり、この大発展の背景にあって、そして我々が膨大な歴史における臨床経験を再び正しく研究する上で、今の中国共産党の作り上げた中医学を捨て去り、「意識が存在を規定する」医学であった清朝末期の正しい中国医学に戻らなければならない。
本書を締め括るに当たり、東洋の文化遺産である中国医学を、今一度正しい理論体系として甦らせる書として、世に出すことができる機会と教育を与えてくださった張明澄老師に最大の感謝を述べたい。
また、本書が一部の人間の思考構造にのみ伝わり、ひっそりと歴史からも、また医学体系からも抹消されたものであったのに対して、張明澄老師の教えを正しく記録し、共に世に出すことに強く賛同して、厄介な校正・監修作業を引き受けてくれた、掛川掌瑛師兄の力がなかったら、本書の出版は、とうてい実現しなかった事だろう。 最後にこの書の編纂を手伝ってくれた、長田南華氏、宮川貴文氏、五十嵐祐樹氏に感謝したい。
この本を通じて、今一度、知的好奇心の高まりと共に、意識から存在へと向けて規定された真の伝統中国医学が、ここから始まると断言したい。
平成二十一年己丑中秋
明澄透派・次席顧問
〈清松道人〉山 道 帰 一
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