台湾に戻ると、いつもうれしいのは家族のように迎えてくれる鍾進添老師と師母をはじめ、兄弟・姉妹弟子たちが、ぼくが台湾に戻るのを待っていることだ。
茶道具は粗忽だが使い込まれた茶道具には雰囲気が調和しているもの。
写真は一番上の兄弟子・陳金朗老師。
道観を営んで、プロの五術家としても活動してらっしゃいます。
陳金朗師兄は既に鍾進添老師のもとでは20年、それ以前にも故・曽子南氏、故・唐正一氏などのもとで内弟子として学び、最終的には鍾進添老師のところにやってきて今でも学習を続けています。
道教の寺院のお偉い道長さんなので、凄くスピリチュアルな人かと思いきや、ベースは徹底した学習にあります。左写真の背表紙が手書きのものが大半ですが、それらはすべて鍾進添老師に習ったものをまとめた内容を字起こししてまとめてある自作本です。こうやって伝統五術は人知れずひっそりと続いて行くんですね。
決して誰にも見せなければ、教えたりもせずに陳金朗師兄は言います。
陳金朗師兄:「鍾進添老師に習った内容は、私の生涯の宝で喩え何億元積まれようと、誰にも教えないしこれらの講義内容は絶対に公開しない。」
と、言います。
山道:「あのぅ、わたくし随分と今回の本『四柱推命大全』の翻訳の折に鍾進添老師の個人教授していただいた講義内容を盛り込んでしまったのですけどぉ。」
とは、この人にだけは口がさけても言えないだろう。(笑) おっと、ブログを見られているかもしれん。
日本では神道の神主さんや、密教のお坊さんなどでも、気学を売りにしている神社仏閣が多々有り、それを観た瞬間に思わす興醒めしてしまい(個人的な感想)、その神主さんやお坊さんがどんなスピリチュアルなパワーに溢れていると評判でも(実際どうだか知らないが)、やはり興ざめしてしまう人が多いことと思われます(五術学んだものにとっては)。ついでにそういう寺院や神社にも何故か興醒めしてしまう私がいます。
「もっと高度なものを習ってよ」という心の声は隠せません。ある意味、その人が信じて拠り所にしている目利きがその人のレベルを如実に顕していると考えてしまうのは私だけでしょうか。それが風流、風雅なものを求める数奇(すき)ではないのでしょうか。
それを考えると、これだけ高度な術を習得している、この道教の道長である兄弟子はある意味無敵ですね。今でも毎朝一番に鍾進添老師のもとを訪れ質問をしに来ます。ある日夕方に老師のもとで出くわしたときなどは、
陳金朗師兄:「あっ、山道、授業中にゴメンネ。今日、朝も来て、また来ちゃった。」
何と!一日二回も片道30分かけて質問しに来ることも多いんです!
まさに「朝に道を聞かば夕べにもう一度聞くのも可なり」の世界です。(笑)
何という学習意欲。尊敬せずにはおれません。素晴らしい数奇者(すきしゃ)です。
台湾に帰る度に、五術教育協會理事長の黄恆堉老師や、その師匠筋に当たる、星徳五術文化総監の洪富連大師など、実に多くの方が「山道帰ってきたんだって」みたいな感じで会いに来てくれるのが実に嬉しい!
この度、洪富連大師が著した『不可不知的生命禮儀』(知らざるべからず生命の礼儀)をサイン付きで頂いてしまいました。 ありがとうございました。
内容も流石、弘光技大学教授にして五術哲学博士だけあって、学術的に高度に洗練され、「生命の礼儀」としての五術が論じられています。もちろん、風水も生命の礼儀で有りますから、本書の中には埋葬する際の陰宅の極意も沢山書かれており、非常に価値ある一書となっている。
読んでいて、流石に大師と呼ばれる重鎮だけあって、浮ついた浅学な民間信仰レベルの五術やスピリチュアルとは一線を画するのは、文体の格調から伝わってくる。そこに現れて来るのは、識の高さである。
本ブログでも、もう何度も紹介しているので、人間のエネルギーを表す指標として、五体(五つの人の本)として「力→精→気→神→識」という五つのエネルギーは『黄帝内経』より典故され、伝統中医学として想起されているというのはご存知だろう。
この中でも、一番高度に高まったエネルギーは「識」であり、日本でも物事の正しい判断力を持っている人を「識者」と呼びますね。また、それは「認識」をも意味します。実際に、「精力」、「精気」、「精神」、「気力」、「神気」、「識神」なとと単語として呼び称され、これら五段階のエネルギーの指標における表現は既に広くアジア文化圏に根付いているのは言うまでもないでしょう。
さて今回の『四柱推命大全』完成までの翻訳に伴って、一番苦労したのは、実はこの部分なのです。
鍾進添老師の圧倒的な高さの「識」を前に、何度も躓きそうになりました。
リテラシー(識字)が古代人に比べて圧倒的に低くなった現代人に如何に漢学の華たる世界観を伝えるかといいう課題でもあります。難解な単語たちも、一つ一つが単純な現代語に置き換えられない漢字、つまり象形文字としての質を持っています。
日本語に訳出していく過程で、日本における現代人に対して、四柱推命の培われた「言語」としての高度なリテラシーを要求するのは無理だという狭間に立たされ、悩みに悩みました。結果、詳細な訳注をつけていくということである程度の解消は試みましたが、いやはや古代人のリテラシーは驚くべきほど高いものが有ります。
そしてそれらの高度な文法と言語を自在に使いこなす達人の鍾進添老師のリテラシーに、毎度のことながら圧倒されます。
文化の積み重ねによって育まれた四柱推命は、実に唐代より1400年近い歳月の積み重ねでも有ります。そこにはしきたりやルール自分の感性だけでは誤魔化せない一定の基準を測り審査する厳密な段階が有ります。1400年の歳月の前に人の知恵など知れたもの、この積み重ねを学ぶといことは、今回台湾に行って鍾進添老師よりご指導いただいた最も価値有る充実の内容と日々でした。
台湾で出版されている子平八字(四柱推命)の大抵の本の水準を把握していますが、やはり本当の教育とは字義を追うものだけではなく、師から弟子へと口承によって受け継がれる部分の大事さを痛感いたしました。頭の中の阻塞が通関用神を得てすっきりとするかのように、塞がっていた滞りが解消できました。
本だけではどこが大切で、どれが正しく、どのようにその論を用いるべきか、また何を優先すべきかなど懇切丁寧に解説してある本など四柱推命の歴史においてまずないです。しかし、四柱推命に求められるのはそれらを全て加味した総合判断なのです。
そして、同じ漢字圏ですが、そこには一つ一つの言語における概念の差異から派生する異文化コミュニケーションは存在します。そういったものを踏まえて、リテラシーの古代と現代の格差に続き、如何に文化差異の溝を埋めて読者に伝えてるかという問題に苦心しました。ちなみに、中国語では溝を通すと「溝通」と書いて、コミュニケーションという意味です。
対話として、コミュニケーション可能な本にしたい。しかし、リテラシーの水準を下げることは培われた文人文化を破壊する行為にも繋がりかねないので、そのあたりをどう処理するかと言うことは、どの水準に設定するかという問題でも有りました。
四柱推命という文法だけではなく単語も大切にした一書として仕上げました。ただ、すべての人のリテラシーの水準が一緒とは限らないので、訳注はつけましたが、あとは読者の判断にゆだねる次第で有ります。
鍾進添老師の奥様の師母は言います。
師母:「五術の世界で最も格付けが低いのが、心霊や通霊と言った分野のジャンルの人たちです。私たちはそんな人たちとは一線を画しています。“学習精神”が大事なのです!」
*一線を画す: 境界線を引き、区切りをはっきりさせる
この心霊や通霊というのは、道教の道士などを初めとする、日本語に直すと「スピリチュアル(精神世界)」です。何故、このような人たちが最も格付けが低いかというと、当たらないし、適当なことばかりいい妄想に充たされて、世を惑わす、衆を乱す者たち(が大半)、であるばかりか、先ほどから述べているように「学術」としての水準を推し量ることが出来る文化の積み重ねを背景にもつ五術の世界にあっては、明確に術者、言わば学習者のレベルを所定の文化基準に従い明確にテスト、審査する方法が有るからです。人間が他の動物と異なり、「学習能力」があったからこそ、ここまで高度な文明を成長させることができたのです。「亢竜悔いあり」、恐竜はもういません。(笑)
学習一つする事がない怠け者の感性垂れ流しで、そんな不真面目の自分の存在を肯定したいが欲求のため、人を惑わす妄言を吐くだけの心霊世界(スピリチュアル)の人間たちがそんな厳しい資質審査に通るはずが有りません。“学習精神”(学習意欲)の高さ及び持続が五術世界おいて成器(ものになる)かどうかを決定づけます。
五術の学習者は、それらの道教の道士、タンキー(童乩)から巫術士の鬼道の世界に到るまで、またスピリチュアルまでを全部、五術だと一緒くたに考えてもらっては困ります。
五術を学ぶものとは、次の六つの美徳と六つの弊害を理解している者達だけなのですから。それは 孔子の『論語』陽貨第十七の八に説かれています。
子曰、由女聞六言六蔽矣乎、對曰、未也、居、吾語女、好仁不好學、其蔽也愚、好知不好學、其蔽也蕩、好信不好學、其蔽也賊、好直不好學、其蔽也絞、好勇不好學、其蔽也亂、好剛不好學、其蔽也狂。
一、仁を好んでも学問を好まないと、愚か者になる。
二、知を好んでも学問を好まないと、どうしたら良いか解らなくなる。
三、信頼を好んでも学問を好まないと、盲信してしまう事になる。
四、正直さを好んでも学問を好まないと、窮屈になる。
五、勇気を好んでも学問を好まないと、乱暴者になる。
六、強さを好んでも学問を好まないと、狂乱に陥ってしまう。
五術の学習無き者は五術の学習者とはいえません。
そのため、今回の『完全定本 四柱推命大全』は、リテラシーが高度な漢学世界を反映させた学術として精度の高いものに仕上がりましたが、上の六条の意味をかみ締め学ぼうと思う者は、喩え初学者だろうと、きっと読んで理解できる仕上がりと成っています。この文人文化、漢学の華の咲いたる世界を志す「学問を好む人」は、チャレンジしてください。限りない知恵が扉の向こうであなたを待っています!
お手軽、お気軽、誰でも理解できない内容じゃなければ自分が理解できないと言う意味で、「真」ではないという、一人禅問答でもしたい人には、残念ながら、小学生が算数より高度な数学ができないのと同じ理由で不向きと言わざるを得ません。あとがきだけ立ち読みしといてください。そんなんじゃ何一つ「真」はものにできないのと一緒。一笑一笑。
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