昨日は、「阿藤大昇百人斬り」来場してくださった皆様、ありがとうございました。
阿藤さん、お疲れ様でした。アンケートの顧客満足度も、95%が満足したという驚異的な数字を出しました。
また、主催元であるFive Arts、 清品茶房茶通のスタッフ一同、休日返上、総出で手伝いに来てくれて、ありがとうございました。お疲れ様でした。
そんな色々な人の想いに応えるため、現場で無報酬で、黙々と参加者と向かい合って、大立ち回りをする阿藤さんに心ばかりのご協力をしたいと思い、冷房の無い入り口での誘導は、ぼくの仕事と心得て勤しんでおりました。
スタッフの対応と、茶通のお茶も大評判でした。来た人の中には、打ち上げまでの空いた時間に茶通に行き、買い物をしてくださったお客様もいて、「お茶ってやっぱすごいな」とも思いました。
えっ!「今更なんだよ。オマエ茶師の資格所有者じゃんか?」と言われる方もいるかもしれませんが、お茶に精通すればするほど、人為ではどうしようも無いものが加わり、「今日、飲んだお茶、同じお茶だけれど、昨日と違う味がした。」という玄妙な世界なのですよ。
そんな、現象をこの阿藤さんの「百人斬り」に見ました。
今日、見かけた阿藤さん、昨日と違う感じがした。
駆けつけたスタッフの友人や知人も「衝撃的な体験をした。」と、何かを変える一日であったの間違いないです。
また、五術や占いに興味の無かったスタッフが、打ち上げで、「代表(ダニエルのあだ名)、わたし真剣に勉強することにしました。」と、熱く語ってくれ、皆が異様な熱気に包まれ、熱く盛り上がり語り合う。
「やっぱ、こういうイベントはガンガンやってみるものだなぁ。」と、熱い漢(オトコ)ダニエルが逆に感化されてしまいました。
しかし、三十人以上を斬って、斬って斬りまくる昨日の阿藤さんは鬼気迫るものがあった。
ただ、ただ、素晴らしい。初めに目を付けたとおり、「できる。」。そして、本気の阿藤さんを常日頃見てみたいと思い続けたが、ついに見てしまった・・・。やはり、ぼくの信じたとおりだ。
そもそも、阿藤さんとの出会いも、張明澄先生でした。このブログでも、お話させていただきましたが、張明澄先生とは、仙学東派での系列にて、ご指導頂き、命・卜・相に関しては、どうしてもわからないことを質問する程度で、占験派である明澄透派との係わりは、特に無かったのです。
張明澄先生の死後、先生の残したものは、何でも欲しいという強い想いから、阿藤さんをはじめ、掛川師兄には、色々と面倒を見ていただき、感謝にたえません。
また、阿藤さん、掛川師兄から頂いた一番の恩恵は、この若造ダニエルが、人生の経験として足りていないのですが、何故か確信めいたものが頭に閃き、それが、正しいことなのか、間違いなのかを考えるに際して、談話の折に、それらの極秘伝ともいえる根深い「こたえ」に繋がる部分を確認できたという点にあります。
阿藤さんとは、何のために子平があるかということを再三にわたり談話し、非常に腑に落ちた洞察を得ることが出来ました。また、「山」についても、共に語り合い、阿藤さんがそういった世界を目指すようになったのは、道友を得た気がして、嬉しいものでした。
また、掛川師兄とは風水について、色々とご質問させていただいたのに加え、台湾では、ある戦士を含め三人で共に行動し、龍穴を回り、格局を用いる「奇門風水」が万象を万象のまま捉えようとする原始的な巒頭派風水としても、見事に整合性の取れた奥の深い風水であることを実地で教えてくださいました。
そして、風水とは何かという答えを自分なりに得ることが出来たのは、師兄のおかけであります。
師兄が表に出すことなく溜め込んだ珠玉の奇門風水にまつわる一代体系は、師兄とともに、世に問う準備も進めております。それだけ伝統のある風水は本場といわれる台湾でも失われて久しいのです。
というのも、今まで日本に奇門風水を名乗るものはありましたが、本物の奇門風水は存在していなかったのですから。また、昨日、ブログを読んでくださっている多くの方々にリアルにお会いして聞いた声の中では、「いつ、本にしてくださるのですか?」とか、「自費出版での様な形式で発表してはいかがですか?」と、実に様々な前向きな、未来への答えを読者の皆様の口から聞けたのは、ありがたいことでした。
物事の基準として、その術の価値やより真実に近いかを判断する上では、その術の持つ「歴史」がキーワードなります。
五術は、「個人的なもの」と「文化的なもの」という二種類で完全に区別できます。
つまり、長い時間の経過を経て尚且つ、存続し続けたということは、それだけ多くの人に判断され、生き残ったということです。いつの時代も客観的に研究する天才や研究者たちがいるもので、それだけの頭脳を持った人たちを通過して、多くの世代を生き続けたということ自体が、価値があるものという客観的な判定基準になるのではないかということです。
我々は、それを伝統文化と呼びます。
そして、それは常に陽の当たるところにあるとは限りません。
それはあたかも、その様な貴重な資料や知識、経験を我々が持っているのと、世間で出回っているのとでは、まるで関係がないということです。
そう言った伝統文化でも陽の浴びることの無かった秘密ドクトリン(主義・学説)を世に出そうとするのは、出す側も並大抵の作業ではありません。それは、あたかも、正しいものが正しく生きられる時代ならば、いざ知らず、今の時代は惨憺たる現状といわざるを得ません。
聖書の『ダニエル書』の中で、時代の変遷を、像に喩え頭は純金、胸と両腕は銀、腹と大腿は、銅、脛は鉄、足の一部は鉄と粘土に見立て、今は、足に当たる部分が、人類自体の退化している姿を象徴しています。
我々は、それを張先生から学びました。張先生は、善悪の反転した今の時代を「奴隷の時代」と読んでいました。明澄透派という素晴らしい張家に伝わる家学も、破門された弟子たちに踏みしだかれ、名誉も汚され、権利も剥奪されてしまい、破門弟子が偽り装うニセモノと化したキラーカーンの「透派」が本物を駆逐しようとした。
そんな悲しい現実の前に、我々ができることは、「名を正す」ことだけが、課題として残されたのは言うまでもありません。
阿藤さんが振るってくれた太刀も、明澄透派という伝統の宝刀で、斬って斬って斬って、張明澄先生の名誉のために、捧げてくれた無私の奉仕でもあったと、私は解釈しています。
その「名を正す」行為に基づけば、阿藤さんの「百人斬り」の際に使用した人斬り庖丁の銘が「明澄透派 子平大法・心得」という張明澄先生の残してくれた子平(四柱推命)であるということにも、多くの方が感銘を受けてくれたのは、ありがたいことでした。
とりわけ、昨日は、まじめに中国伝統文化が大好きだと言う方が多く来られ、お話をしていて、なんとも嬉しい会合でした。
阿藤さんが世に問うてくれた「百人斬り」、阿藤さんの人斬り(四柱推命)の技術に、歴史的なルーツを求めるならば、明澄透派の子平だということになります。つまり、先ほどの五術の区分である「個人的なもの」と「文化的なもの」の区分で言いますと、阿藤さんは、文化的な五術を持ち、それは、明澄透派だということです。
張明澄先生の「名を正す」ためにも無報酬で、尽力してくださった阿藤さんに、ただ、ただ感謝いたします。
今後も、阿藤さんの活躍をますますお祈り申し上げます。互いに、助け合って、支えあうのが、残された身内なのですから、遠慮すること無いですよ。
阿藤さんは、ぼくの家族です。
そして、「百人斬り」を皮切りに、ぼくらの戦いは始まったのだ。
世間に問うぞ!真実の力がまやかし偽りを斬り裂く時代が来た。
風水山道、もとい『ファイト・クラブ』の仕掛け人、山道が、次は、直接仕掛けるぞ!
切り込み隊長、阿藤さんから勇気をもらった。もう、後方支援は飽きた。やはり、漢(オトコ)だっちたら、突撃作戦あるのみだ。
そして、多くの同胞が支援してくれる夢を見た。この夢を心に置こう。
そして、ぼくたちは、人知れず選んだ辛い選択肢を乗り越えて行ける。
一人ではないと言うことを昨日来た皆の心から教えてもらった。これは、ぼくの宝だ。
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