神智学協会とインドにおけるユートピア
1877年にヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねることになり、インド帝国が成立した。1947年に独立しインド帝国は消滅するが、特に1800年以降、インドの宗教・思想は一つのターニング・ポイントをむかえた。
特に、19世紀から今世紀にかけての大きなヒンドゥー教の変動は「宗教改革」「ルネサンス」或いは「ネオ・ヒンドゥイズム」と呼ばれる。この宗教改革は、インドの古典文化が西洋思想に大きな影響を与えると共に、インドにおいてはインド・ナショナリズムを生んだ。
そのようなインパクトの一つとして、神智学協会がある。神智学協会は、後のニューエイジ運動の母体であり、その影響力は、ナチスにも及ぶことになる。
まず、この協会は1875年、ドイツ系ロシア人のブラヴァツキー夫人 (1831-91)とアメリカの名誉大佐でもあり、奴隷解放運動の闘士でもあったオルコット大佐によってニューヨークに設立したが、1882年その本部はマドラスに移された。
その思想はヒンドゥー教や仏教の教義を中核とするが、その幅は広く一言で言えば、「秘教研究」である。
この協会は、
「あらゆる主要宗教の基底をなす神の叡智、つまり神智学(テオソフィー)の知識を広めるために存在する。しかしながら、協会はいかなるドクマ(教理)も信仰も持ち合わせていない。」
というが、協会はドクトリン(教義)はしっかり備わっていた。
神智学者たちは、ユダヤのカバラ、キリスト教やスーフィズムの神秘学、タロット、ウパニシャド、瞑想、霊的形而上学などを研究しているが、チベットの秘教的組織の導師クート・フーミー大師とモリヤ大師から口述されたという『シークレット・ドクトリン』や『ヴェールを脱いだイシス』等が、彼らの言う叡智の源泉とされた。
これらの本はさまざまな文化圏の秘教学ダイジェストさながらの様相を呈しており、自ずと世界文化、特に古典文化に関心が向けられるような構成であると言っても過言ではないと思う。
その内容は、沢山の引用を古代からの秘教学との関連性で結びつけられており、ヴェーダ学・仏教学・ヘルメス学・カバラ・キリスト教学と幅広く、この本に引用されている人物はニュートンから魔術師シモンに至るまで、時代と国境を飛び越えている。
ある意味で比較衆教学の先駆だったのでは?とも一見すると考えてしまう。この協会の主義主張としては、当時のダーウィン主義者の進化論に対して、進化論を霊的系上学の世界観で輪廻転生などの古代インド思想を根幹として取り組んでいったことである。
神智学協会の主張としての進化論とは、
「人類の進化の過程は7つの根幹人類に区分され、それぞれの根幹人類は特定の意識のパラダイム、或いは意識のレヴェルを表わしており、現在の私たちは第5根幹人類のアーリア人であり、この時代に人間の意識が霊的な性質を獲得するに至る。第7根幹人類に至ると、現在の人間には想像できないような至福を体験する。」
「私たちがそうしようと決心さえするのなら、地上に楽園を
創造することを妨げるものは何も存在しない」
という、個の変革が社会を変えるというニューエイジ思想の根幹がここから始まり、ダーウィン主義者によって、否定された祖先は楽園にいないという進化論の熱狂の中で、真理の求道者や理想主義者達の多くが望む具体的なユートピアのヴィジョンを当時の変動やまぬ混乱の学問や信仰に持ち込んだのである。
この様なユートピア実現を求める思想が、インドを中心として活躍し、更にインド人達でさえ知らないような古代インド秘教学を独自の解釈により、社会に繁栄しようとする神智学協会は、この時代のインド人達が必要とする根本的な何かを持っていたのかも知れない。
それが、真理であるか定かでないが、真理というよりは真理に携わること、もしくは真理というものを肯定できる文化的基盤の再構築をする事であったように思われてならない。(写真は、神智学協会と訣別したが深く係わった二人の宗教家。ルドルフ・シュタイナー(1861-1925) とクリシュナムルティ(1895-1986)。)
とにかく、イギリスの統治下にあってのインドにおいては、ユートピア実現論こそ、独立を望むインド人達に
「そうしようと決心さえしたら地上に楽園を造れる」
という心念をともなって、神智学協会はインド・ナショナリズムと共に、歴史を歩むことになったのは周知の事実である。
ブラブァツキー以降の神智学協会の代表的存在であったアニー・ベザント夫人(1847-1933)は、インド独立運動に参加し、国民議会の年次大会議長を勤めている。*1929年まで、クリシュナムルティは、アニー・ベザント夫人の養子だった。
また、独立インド初代首相であるネルーは協会の最も著名な会員の一人であったし、マハトマ・ガンディもまた協会にかかわっていた。
そして、神智学協会はインド独立運動を支援したことで知られるが、それには古代インドの叡智に対する畏敬の念のために関わったと一般的に言われている。
しかし、私なりの見解で言うのなら、この協会自体が表看板である秘教研究の裏側には何らかの政治的目論見や諜報活動などが、ふんだんに関与していたものと思われる。話を裏返せば、この時代のムーブメントに様々な民族の生き残りをかけた闘争があり、その裏側には更に何かがあったと思われる。
神智学協会の活動と教義は十分に、イギリス帝国に支配されていたインド人自身に、祖先の遺産を評価しうる目を開かせることになったと同時に物質文明の方向転換を促す歴史的大事件であったと思う。
以上の様に、インド独立運動の成功は西洋社会の求道者達が発掘した古代インドの精神文化が、西洋社会にインパクトを与えることによって、軍国主義といった物質中心主義思想の偏った方向性にインパクトを与えたというだけで、神智学協会には、歴史に残る古代インド文化に基づく新思想であり、その行跡は奇跡的であったと言える。
<エッセー集>
エピローグ:「荷物と心の整理」
「空海の文化」
「中国における思想と仏教」
「後期密教における力の顕現」
「神智学協会とインドにおけるユートピア」
「そして、世界は作られている」
「自然への道」
*これらのエッセーは12年前に書かれたものです。まったく加筆、訂正していません。
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