後期密教における力の顕現
私が、密教における図像学に興味を持っているのは、この図像学が一つのアートだと感じたからであり、私にとってアートとは、一つの文化的所産を有した力の顕現です。この場合の力とは、伝統文化における生命力といったものとして考えています。
特に、日本・チベットとは二大密教圏と言われるだけあって、この日本では生活様式の美に至るまでの文化的密教の融合が果たされており、美の認識として観念が日本人の中に構築されているように思えます。
ただ、日本における密教の有り様としては、中期密教までは整然と整備されているのですが、後期密教による影響力はありません。
近代日本におけるチベット密教の布教の有り様からその様子が、うかがわれます。
実際には、入宋僧の成尋などによって一部の漢訳が持ち込まれ、また、江戸時代には黄檗宗を通じて、喇嘛教と呼ばれる後期密教主体のチベット系仏教が伝わったた事実は有るのですが、あまり研究が進まなかったと思えます。
そもそも、同じ密教圏と言われるチベットと日本ですが、そこには二つの大きな違いが有り、その違いが後期密教における定着の有り様を変えたのです。
第一には、チベットはインドから非常に近く、当時のインドの仏教徒がイスラム軍の圧迫を逃れるために、チベットに新天地を求めたことに対して、日本とインドの距離は遠いことです。
第二には、この距離が関係するのですが、まず儒教圏である中国において後期密教がその教義の性質上定着しなかったことと、それにともなって日本も儒教圏であることと同時に、中国からの後期密教のインパクトが薄かったというのが原因だったのでしょう。
インドに始まった秘密仏教は、中期密教までが中国を経て日本に、後期密教がヒマラヤを越えてチベットに伝わった。ところが発祥地のインドでは、密教は次第にヒンズー教に勢力を奪われ、十三世紀に侵入したイスラム教徒に息の根を止められた。
中国では唐の衰退とともに顧みられなくなったとされるが、中国に伝わった密教は、「東密」と呼ばれ、民間に在家で構成されるたくさんの密教学派を残した。その一つが、「南華密教」である。唐朝末期から清朝末期までの間、実に千年以上も弾圧されつづけ、寺を焼かれて僧が殺される迫害は、何度となくくり返された結果、「東密」の密教信者たちは、表立って寺院などを持たず、在家居士として秘かに密教を奉じ、法灯を守り続けました。中国南部つまり南華地方の密教なのでこれを「南華密教」と呼び、華北一帯で発達した密教を「東華密教」と呼びます。
その他にも「東密」は、様々な仙道諸派と交じり合いその教えは、保存されました。顕著な例では、仙道の流派の一つであり、李道純(『中和集』を著す)や黄元吉(『楽育堂語録』を著す)に代表される「中派」では、中脈と呼ばれる人体の中央正位にあり、任脈と督脈でもなく、下は坤土(色は黄)を中心とし、中黄の気を得る黄道を扱うことに特色を持っています。
「中派」の功法である中脈を衝く方法と、チベット仏教の中脈を扱う修練方法とは完全に一致しています。中脈を通すとその脈路上の7つの孔(7つの門とも言う)は浄化し滞りがなくなるとされ、これはヨーガの7つのチャクラを通す功法そのものなのです。
「中派」だけにとどまらず、後期密教の影響は、仙道諸派にとってあまりにも大きいインパクトだったのです。沈常敬の系統の龍門律宗である金蓋山の雲巣支派の道士閔小艮(1758-1836) (『金蓋心灯』を著す)の丹法は任脈と督脈の修練を行わず、おもに元気を背骨の前、心臓の後ろに位置する黄道に沿って真っすぐ上下に動かす。
これは中黄直透と呼ばれ、のちの人はその丹法を元代の道士李道純と同じ中派に分類するが、明らかに後期密教の影響でこのような様々な仙学流派が現れたの言うまでも無いことです。元代の道士李道純と清末の道士の黄元吉の守中を煉丹方法とした丹法も「中派」に属します。
私が習ってきた青城派や西派、東派、法言壇にも後期密教の影響は濃厚に見られ、功法に人体の中脈を開発する中黄直透理論の影響を受けていない仙道流派など、清代に至って、存在したでしょうか。後期密教は、強い影響を既存の中国功法世界に与え、仙道と一体化したのが、中国における後期密教の受容のあり方でした。
日本は近世に入ってから、河口慧海(1866−1945)がチベットに入り、後期密教の原典を持ち帰るなどしました。
後期密教の影響が最も濃厚と思われるのはチベット仏教で、日本においての学界での後期密教研究はチベット本土や西チベットのラダック等からの資料が舶載され、原始仏教の関心から、後期密教の関心が高まり、合理主義を超えた神秘主義としての密教が本格的に思潮となったのは、ここ半世紀といったところですが、チベットにおける後期密教主体の宗派は9世紀以降に誕生し始めました。
チベット密教の祖とされる蓮華生の流れであるニンマ派が中軸とされます。ニンマ派を古密教といいます。そして、新しい密教の代表のカギュ派(始祖マルパ 1012~1097) とサキャ派、シジェ派を新密教といいます。
また、カギュ派は、分派を重ね、ディクン派・ドゥク派・カルマ派などがあります。そして、後の15世紀には、ツォンカパが始めた最大宗派ゲルク派(黄帽派)があり、現在、ニンマ派・サキャ派・カギュ派・ゲルク派などが、四つの主要な宗派となっています。チベットでは、密教の発達段階を考えるにあたって、14世紀の学僧プトゥン(1290-1364)が用いた以下の分類法を使用することが多いです。
所作 タ ン ト ラ 一部 初期密教
行儀 タ ン ト ラ 一部 中期密教
瑜伽 タ ン ト ラ 後期密教
無上瑜伽タントラ
プトゥンによれば、密教は四種類のタントラに分類される。日本の雑密に当たるのが「所作タントラ」で、『大日経』は「行儀タントラ」、『金剛頂経』は「瑜伽(ゆが)タントラ」であるとされる。後者の二つは日本では「純密」とされ、それ以降の密教は正式には日本に伝わりませんでした。
しかし、実際にはそれに続く後期密教こそが、現在チベットで行われている「無上瑜伽タントラ」である。それは方便・父タントラの『秘密集会(ひみつじゅうえ)タントラ』、般若・母タントラの『ヘーヴァジュラ・タントラ』と『サンヴァローダヤ・タントラ』、それに両者を総合した双入不二タントラの『カーラチャクラ(時輪)・タントラ』から成ります。
チベット仏教の中で圧倒的な優位にあるゲルク派では、父タントラ系の『秘密集会タントラ』を最も優れた経典としています。
時代的な区分では、初期、中期、後期の三つに分けられる。仏教が呪術を取り入れた初期は、日本密教でいう雑密に当たり、現世利益中心の雑多な印象が強い。それを仏教の教理に基づいて体系化したのが、『大日経』や『金剛頂経』を中心とした中期密教である。そこには後期密教に見られる性的表現は現れていない。
ただし、人間の欲望を肯定的にとらえる「大楽思想」の広まりは、『理趣経』などには見られ、男女の性交さえも清らかなものと表現されている。ただし、それはあくまで言葉の上においてである。
日本の中期密教は弘法大師空海の伝えた真言密教と、伝教大師最澄に始まり、円仁、円珍を経て安然(あんねん)で完成する天台密教に大別できる。前者は『金剛頂経』と『大日経』それに『理趣経』を重んじる。後者は『蘇悉地(そしっじ)経』『大日経』『金剛頂経』に顕教の『法華経』『涅槃経』を重んじる。
後期密教系統の密教経典は無上瑜伽タントラと呼ばれ、これをさらに父タントラ、母タントラ、不二タントラの三種類に一般的には分類されます。 無上瑜伽密教の特徴としては、まさに力であるところのアートが、ヒンドゥー教のシャクティ信仰として表れ、その自然哲学の中の生理学理論は、日本においていも田中公明氏などにより、『秘密集会タントラ』・『時輪タントラ』等の後期密教タントラから研究されています。
田中公明氏によると、
「『時輪タントラ』は、人間の体にチャクラ(神経叢)やナーディー(脈管系)を設定する。このような生理学説は、『時輪タントラ』に先行する。母タントラで発展した。」
とあります。日本では高尾山等に見られるように、軍茶利明王信仰がありますが、これはヒンドゥー教タントリズムのシャクティ(性力)信仰が仏教化されて成立した尊格と考えられています。
私は軍茶利明王とはクンダリニー(kundalini)の音写ではないかと思います。これは、チベット圏では、チャンダーリー(candali)といいます。ちなみに、田中公明氏は軍茶利明王をネパールチベット系密教での別名ヴイグナーンカタ(ヴィグナを調伏する者)から、ものごとの成就を妨げる障碍神ヴィグナを調伏する忿怒尊として構想されたと考えているようです。
一つの仮定として、私は日本にも後期密教の断片が軍茶利明王信仰という形で表れているのかも知れないと考えてみました。
後期密教における身体論を考えるにあたっては、欧米でも比較的早くから、アメリカのエバンス・ウェンツなどによって、カーギュ派のナーローパ(1040~1123)の六成就法などが、紹介されていました。ちなみに、南華密教における功法の最高峰もまたこの「六法」です。
また、イタリアの東洋学者ジュゼッペ・トゥッチの『マンダラの理論と実践』によると、
「仏教タントラは四つの部類に分けられたが、この四部はそれぞれ所作(Kriya)、行(Carya)、瑜伽(Yoga)、無上瑜伽(Anunttara-yoga)と呼ばれる。この分類法は、人間の多様性を払拭し得ないものとしたうえで、いくつかの心理学的な範疇を設定し、この範疇に基づいて各人のために特定の儀礼を詳細に規定する。真理はこの範疇に基づいて各人に最も適した方法で示されるが、それはその人を救済に導くためだけではなく、何らかの神通力を授けるためでもある。」
とあり、この場合の神通力とは、明らかにシャクティ(力)のことだと思われます。
私は、シャクティとはクンダリニーが上がった状態であると表現します。シャクティ・パッドといわれる灌頂はこのクンダリニーを上げる(覚醒させる)儀式であり、そして、このクンダリニーというエネルギー自体が、あらゆる芸術を識別し認識する人間における感受性の源だと思うのです。
また、田中公明氏はチャクラや脈管といったクンダリニー現象に関する事柄に関して、
「人間の意志ではコントロールできない自律神経系の働きを、器官の形態と機能を知って、意志の力でコントロールするという技法は、バイオフィードバックと称されている。これはいまだSF小説の域をでないものだが、将来この様な技法が科学的に解明されるようなれば、後期密教の身体論は、また新たな視点から注目されることになるだろう。」
と、言っております。
ちなみに、東洋の自律神経のコントロール技法としての東洋医学である気功は、既に科学的なメスを入れられ、あまり有る効果を上げています。
特に、近年、外気治療というテーマでは、日本でも東京電気大学や日本医科歯科大学などでも積極的に実験が行なわれました。例えば、経絡という気の通り道は科学的に他の部位より、電気抵抗が低いということや、外気といわれるものが赤外線と類似していることなどや脳波実験における入静テストでは、自律神経系の著しいリラクゼーション効果による腸の蠕動運動の活発化など、上げればきりがなく、現在、精神医学や心理学などで盛んに行なわれている催眠術研究にも影響を与えているのは周知の事実です。
話が多少それましたが、後期密教におけるシャクティ信仰の導入によって、人間というミクロコスモと人間を含んだ宇宙であるマクロコスモスの身体相関関係はより、明確になると共に、無上瑜伽不二タントラといわれる『時輪タントラ』は、マンダラの発展の最終段階として、我々にかって公開されたことの無い秘密を示そうとしているように思えるのです。
その『時輪タントラ』における秘密とは、セムニー(心の根源・霊性の根源)の世界のことなのかも知れません。かって、私はある導師から、時輪にまつわる話の断片を聞いたことがあり、それによると『時輪タントラ』における真の解釈とは、チベットにおけるごく限られた一部の宗教指導者の間のみにしか存在しないと言うことでした。それらの人々は外部の人間に決して知られることが無いと言い、もちろんダライ・ラマではないということでした。
この手のことに、実践家達は意外と詳しい者もいるのですが、近年では『時輪タントラ』を研究している田中氏のように、学問的スタンスからも研究し始めている人々が増加したのには多少驚きを覚えますが、フィールド・ワークが盛んになってきたということなのかもしれません。
しかし、田中公明氏が言うように、
「後期密教は秘教的な色彩が強く、社会的に閉ざされた組織を持っていたと考えられる。」
ということがあり、特に近年の後期密教関連を考えるにあたっては、やはり世界情勢の動きという政治的構造を感じてしまうのです。
例えば、インド独立を支援した神智学協会やヒットラー(1889-1945)のナチス台頭や神秘家G. I. グルジェフ (1866-1949)などや河口慧海や中国政府のチベット弾圧事件やチベット亡命政府の布教活動やパンチェンラマの出現というようにあまりにも広大な世界の上での広がりを持つのであります。つまり、衰退していく宗教のイデオロギーとあいまって、民族闘争に及んだものとも思われます。
そのため、ここでは言及を省略させていただきたいと思います。
時の輪であり、時間サイクルをあらわす「カーラチャクラ」は、インドではホロスコープと解します。そもそも、時間的周期を繰り返し言及するこのタントラは、田中氏によると
「『時輪タントラ』の編集者は、天文暦学についての高度の知識を有していた。」
と、いいます。私は、この難解だといわれるタントラの読解の鍵は、ヒンドゥー占星学にあると思うのです。私も現在ヒンドゥー占星学を勉強中ですが、インドでは、古代おいて、天文学(Astronomy)と星学(Astrology)の厳密の区分けはなく、むしろバラモンの中でも一定の条件と伝統を有した家系の系譜にある者しか学べなく、そのステータスも非常に重んじられていました。
ヴァラーハミヒラの『ブリハット・サンヒーター(BrhatsaMhita)』にそのきめ細かい条件は記載され、まさに王を助けるための学問であったようです。『ブリハット・サンヒター』の「サンヒター」は、ヴァラーハミヒラ自身の言葉によると「天体の学」(jyotihcastra)の三部門の一つであります。
ヒンドゥー占星学とは、ヴェーダ学の「星学」(Jyotisa)、ジョーティシャといわれ、別名ホーラ・シャストラ(Hora Castra)とも言います。イギリス・インド等では盛んに研究されています。
インド占星学は甚だ奥深く、どこの文化圏でも星学は有るのですが、結局その星学に対する理解を深めるためには、その国の文化体系を縦糸として、踏まえていないと幾ら占星学を学んでも役に立たないと思われます。
私が、このジョーティシャといわれる分野で、最も気になり、かつ、『時輪タントラ』を理解する上でも、必要不可欠の知恵と思われるものに「ナディー(NADI)・システム」という南インドにおける一星学体系があります。
言語音韻学とも密接な繋がりがあり、かってイギリスはインドからアーユル・ヴェーダーに関する文献を大量に手に入れたのですが、時を司る学問体系であるナディー・システム(ナディー星学)に関する資料は見過ごしてしまい、変わりに西洋の高名な占星家であったセファリエルという人がナディ文献を持ち帰ったと言われています。
アガスティアの葉と騒がれたものは、その極々断片の末端にすぎず、一つの体系としては既にバラバラで散逸しています。私もその散らばった断片としての一部を所有していますが、あくまで断片のため、ほとんどシステムとしては機能していません。
そもそも、占星学とは、人間が星からの意識を受けているという前提に成り立つ科学であります。かって、ヨハネス・ケプラー(1571-1630)が人間が月から受ける影響を発表したときは、当時の人々の失笑をかったのですが、現在では、月と人間の相関関係は人間の血液や海の満ち潮などに見られる様に、具体的に天体物理学・天文学・心理学的にも検証は進んでいます。
近年盛んににおこなわれてきたスピノザ(1632-1677)による物心平行論にみられる精神の捉え方や、ユング(1875-1961)心理学のような精神医学にも必ず古代の科学である星学は大事な道標となっているのです。
つまり、生理学的身体論は既に、唯物論的に肉体といった物質を追って現れる現象を捉えていくだけではなく、人間精神、延いては人間の心理的側面からより深い深層無意識の層を探究していかなくては、何も生まれてこないし、何も分からない時代に突入したのだと感じます。
もちろん、現代科学自体が遺伝子研究など、人間存在に対して何らかの実証的価値体系を作り上げていくことも忘れてはいけないと思います。そして、そのような現代科学をうまく機能させるためには、人間の美に対する伝統文化が持つ普遍性を無視してはならないと思うのです。
また、人間を醜い生き物にしないためには古代から引き続く文化の持つ芸術観念を壊してはならないのです。そして、芸術に基づく秩序だった文化生活機構が、今人間には一番必要であり、その端緒の表れが、エコロジーなのです。今、コスモロジーからエコロジーへと、密教の思想が新しい。
<参考文献>
・『チベットの精神医学』 春秋社 テリー・クリフォード
・『曼陀羅イコノロジー』平河出版 田中公明
・『超密教 時輪タントラ』東方出版 田中公明
・『占術大集成1,2』東洋文庫 ヴァラーハミヒラ
・『チベット密教美術展』監修 マリリン・M・リー
・『マンダラの理論と実践』平河出版 ジュゼッペ・トゥッチ
・『魂の科学』たま出版 スワミ・ヨーゲンシヴァランダ
・『チベット旅行記』講談社学術文庫 河口慧海
・『クンダリニー』平河出版 ゴービ・クリシュナ
・ 『気の挑戦』緑書房 仲里誠毅・『鍼とツボの科学』講談社BLUE BACKS
<編集後記>
自分は長年、家系の系譜の丹道に携わってきて、特に瞑想が自分なりに進んでくるうちに、人間意識に関与するというものに惑星の意識が確実にあるという心念を持っています。生理学的なクンダリニー現象に関しましても、自分の実践を通して探究しましたが、それはとてもアカデミックに述べられるものでないことを痛感いたします。ちなみに、東洋ではクンダリニーではなく、火候といったり、中脈を通すと言ったりします。
とりあえず、密教の力というテーマを考えるにあたって不十分な点が多々あることとは思いますが、どうかご了承ください。
「後期密教における力の顕現」は、多少加筆を加え、読みやすくしましたが、根本的には内容を変更しておりません。
結論として、 「空海の文化」の結論部と同じように、密教の本質を指摘したい。
一人一人の煩悩の性質である自己中心性を取り除いた上での生命力の発揮を通して、社会と自分との関係をより強い絆で結ぶことが、今だけではなく、未来にまで及ぶ、この地球上にある生命の尊さを一人一人が再確認しようという試みであり、広大な生命元に対する回帰発想であり、生命力への体験を通した仏教としての密教である。広大な宇宙観と身体観を星を使って表現しようとした後期密教のコスモロジーから、地球生命の尊さをあらためて感じ、その着眼点はエコロジーに帰結する。
<エッセー集>
エピローグ:「荷物と心の整理」
「空海の文化」
「中国における思想と仏教」
「後期密教における力の顕現」
「神智学協会とインドにおけるユートピア」
「そして、世界は作られている」
「自然への道」
*これらのエッセーは12年前に書かれたものです。まったく加筆、訂正していません。
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