執筆を終え、溜まっていた仕事を処理し始める。色々と大変なことに・・・。結局、休みの時間が取れないが、今日は先輩にして、世代を越えた飲み友達の内装インテリアデザイナーのM氏と飲みに行く。というより、仕事でしたが。(;◔ิд◔ิ) !!!
去年引っ越して来て以来、Mさんの家から30メートルの距離だが、お互い時間が折り合わずに、今日まで会えないでいた。(。→ˇ艸←)
M氏の紹介するクライアントの方に案内されて、レトロな焼き鳥屋で飲みながら、依頼内容を聞き入る。はずだった・・・。その方は、国の機関の方で、しかも、農業関連の方でした。
クライアントと案件を聞くだけで終わるはずが、熱い農業討論が展開され、なんだか疲れちゃった。(u‿ฺu)
ただ、日本の農を見つめている視野が大きく広がった。何処にでも、勉強する機会が溢れている。心を開いて拒まず、耳を澄まして、眼を開けば、多くの情報が雪崩のように流れ込んでくる。知ったかぶりやわかったフリを装う必要は無い。自分の本質で理解していなければわかっていないのと同じだ。知っていればできる!それが、知行合一だ。その辺りが理解できていない人が多く、人間関係に辟易してしまったことも最近ではあった。
あっ、知っていても原稿を遅れたオレに、こんなにカッチョイイことを言う資格はないかもしれない。(。♋ฺ‸♋ฺ。)
しかし、一言だけ言い訳をしても良いのならば、仕事をしながら書く事がここまで頭のスイッチが入れ替わらずハードだとは思わなかった。もう、認識しまた。今後気をつけます。自分の予想した「書く」という時間の概算は悉く役に立たずに関係者に迷惑をかけてしまいました。ゴメンナサイ。(✿ฺ。 ✿ฺ)
そして、クライアントN氏の方が、堰を切ったように自分を爆発させる。漢(オトコ)、山道、心のリズムを計りながら、静かな水面を思う。
ただ、そこからゴポゴポと何かが溢れてくる。デザイナーM氏は、山道の知己である。M氏は時として、山道以上に山道を分析する。その状況をいち早く察したM氏の心は叫んでいた。
「つ、津波じゃ~津波が来る!」。きっと、M氏の心の中では、そんな動揺があったに違いない。
何度も、農業の話題からぼくらの意識をそらそうとトライしていたが、ぼくの意識はその問題をその討論を完全にロックオンしていた。
頭の中を何層にもわたって、ロジックの仕掛けと産馬術的回答パターンをシュミレートした。もう、このテーマでは、和やかな結論を生まないだろうと、M氏はひたすらぬる燗を飲み続けて、その討論を傍観していた。
N氏:「あの人材派遣会社のせいで、私たちがクレームを処理している。」
N氏:「我々のノウハウと仕組みや情報を盗んだのだ!」
N氏:「そして、就農する人間は、三年間無給の生活が続くことをちゃんと説明せずに、
いい加減な夢を人に見せ、被害者は我々のところに相談しに来る。」
心臓が高鳴る。そう、人間は恋愛以外にも、こんな素敵な心臓の鼓動を聞く事ができるのだ。色々と聞いていた情報と話と食い違う。一体誰の言い分が正しいのだろうか?
きっと答えはそんなところには無いのだろう。あるのは政治的仕組みと権力、そして薄汚れた金と欲望、力を行使している者達の限りない醜い構造を覆い隠すプロパガンダだけが露呈され、世間は真実を知らない。そう、まるで私がこの農の問題を完全に捉え切れていないのと同じだ。
ダニエル: 「この汚い世界の何処に正しい解答を求めているのだろうか?」
そこから食い違っている。正義感の強い人間ほどたやすく壊れるものだ。目の前でその醜い構造をただひたすらと説明するN氏が可哀想に思えた。
討論は意外な形でピリオドを打たれる。津波は来なかった。静かに深い水面を思う。
ダニエル: 「もう、自分を許してあげても良いんじゃないですか?」
ダニエル: 「失礼な話ですが、あなたの神経系統は壊れている。神経症ですね。その苦しみから抜け出せないですか?自分を許せないのですか?」
つい一昔前までは、津波が来ていただろう。随分と自分を律する事ができるようになったものだ。冷静に水面の上の変化を見ると結論が見えてくる。クライアントの洞察を見抜く事ができなければ、依頼を請け負うべきではない。まず、クライアントと心と心の関係を作るべきだが、健常な人間とは容易く橋を架けられても、病んだ心と接するに際しては細心の注意が必要だ。
こころの病んだ者達に対してて、同情や哀れみはは要らない。それらは、相手を貶めるだけだ。本質に迫り、本質から目を背けてはならない。つまり、相手が病気であるということを覆い隠し、丁寧に慇懃にそこから話題を避けても何も生まれてこない。真っ直ぐに、偽り無く相手の心と向かい合い、それでもなお、相手が手を伸ばしてくる素振り位見えたのならば、手をつかむべきだ。
甘えんぼちゃんのかまって欲しがりの者達に対して、差し伸べる手は無い。オレは、偽善者じゃないし、世に正式な資格を持つ、精神科医ではない。山のものは山へ、海のものは海へ。
最近では、某大学病院での人体実験に貢献する上で、常にある種の意識を保ったり、開放したり爆発させたりと色々な実験に対応できるように、自分の意識を律している。爆発させるのは、実験の時だけでよい。普段無駄なエネルギーを使って、貴重な医学の発展に貢献できる機会を棒に振るわけにも行かない。
仙道をやっている人間たちにおいて、ある段階と意識の境地(回光)をクリアーするとスティグマ(聖痕)とも呼ぶべき人体に異常な現象が現れてくる。そして、それを支配し自在に維持できるようになる。
今、その部分を徹底的に被験者として、医学的に、そして科学的に立証し、何か現代医学に貢献できる事があるのならば、貢献しようと思い始め、行動しはじめたのは最近だ。
この話はブログで書くべきではなく、然るべき良識の在る研究者が、やがて研究論文として世に発表するまで沈黙したい。私は世に正式な資格を持つ学者ではないのだから。
世間に埋もれるように隠れるのはやめよう。自分を晒し風を受け取れよう。そして、飛びたい。こころの翼をひろげ!海のものは海へ山のものは山へと帰る日まで。自分を常に厳しい場所に置き、その中でどう変化するか自分を見つめ続けようと思う。痛みの無い自由などいらない。痛みが有るから自由も感じる事ができる。長い暗闇のトンネルの中で見つめ続けたものの中に答えはあった。
正義の無い場所で正義感を振り回す者は、強靭な精神力が必要で、それを維持するのは、尋常ではない。世の中の裏側が見えれば見えるほど、それに同化するものと反発するもの、人間は実に多種多様だ。そして、正義とは諸刃の剣で、N氏に見られる様に人間をいとも容易く破壊してしまう。そして、正義とは時として洗脳にも似ている。N氏も、またこの国、この農業機関や団体の犠牲者だと感じた。彼の語る農業(agriculture)は、怒りに満ち満ちていた(angry culture)。
N氏:「今の仕事をいつ辞めても良い・・・。」
そこには、これだけ熱く語る男の無念があった。指摘され、自分の深刻な状況を認めつつ、尚、戦おうとする。この男のファイティングスピリッツには立派なのだろうが、それが周りを傷つけ、この男を孤独にしているだけなのが残念だ。こんなにも、ボロボロになった翼で、まだもがいている。
このまま、どこぞの病院とも知れぬ海の底に波にのまれて埋もれるくらいならば、誰かの手を掴め!前に飛び立つのだ!ただ、それが甘えや依存であってはならない。誰かに寄りかかるだけの翼ならば、誰かが迷惑するだけだ。問題は、たった一つで、自分の正義感と世界と対峙し、敗者になっているという事実だ。受け入れることから始め、何よりも、それらが自分に固執しすぎたせいで、派生している病だと自覚しなければならない。
自分が変われば、世界が変わる!
少なくとも、オレが病院に行くのは安楽な薬を飲まされ続け、過敏に反応するシナプスの反応が千切れるかのように弱くするために行くのではない。
だいたい、そうなった時点で、何の自分の主張というものがあろうか?
その様な通院状態であるということは、自分が既に何らかの間違った考えに固執するため、苦しいから病院に薬をもらいに行っているという図式が浮かび上がり、明らかに自分が考えている事が間違っていると自分で認めているようなものだろう。
薬をもらって、感情の波を平坦にしてもらう
オレはそんな風に敗者としてもがくのではなく、未来に飛び立つためにもがきに病院に行くのだ。決して、津波にのまれ、自分を主張しているようで病院からお薬をもらい、自分の思考にお詫びし続けている甘え坊ではない。何度も言う!
自分が変われば、世界が変わる!
醜い自分に固執せずに、まず、自分を変えろ!そうすれば、全てが変わる。
薬をもらって、自分を病人であると慰めるだけの敗者になるな!自分では病人としてのあり方だとしても、医者から見れば、「既にこの人は自分が間違っていると知っているから、薬を飲んでいる」と勝ち誇った笑みを浮かべているぞ。
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