『豐さ』
人は、真の豊かさを知らない。「豊さ」とは、削ぎ落とし、削り取られて残ったもの。それは、心の奥底に潜む本質。
豊穣な稲穂の実り。削ぎ落とされ、脱穀された果実が、米となる。
稲穂を揺らす風、稲穂を濡らす雨、稲穂を育む大地に、稲穂を照らす太陽にさえ、豊さという本質に差し迫った関係性を有する。
固い殻に閉じ困った我々の種子(しゅうじ)は、豊さそのものであるのに、肝心の我々の心(識)は、弱く儚くも脆い。
外界との関係を調え、強く実った心から、削ぎ落としてこそ豊かさが顕われる。
*しゅう‐じ【種子】唯識で、一切の現象・事物となって現れ出るべき可能力を植物の種にたとえていう語。阿頼耶識に蓄えられる。
⇒無限の可能性を秘め、心の中に有する豊さである先天の心。
*ゆい‐しき【唯識】仏教学説の一。一切の存在はただ自己の識(心)の作り出した仮のもので、識のほかには事物的存在はないと説く。
⇒識が、見たもの全てを自身の事象に起きた物事として受け止める唯識的「判断」、もしくは「認識」を言う。
(例)狭いお店にお客様が沢山入ってきて、混雑しているとき、唯識的判断を持つ店員さんならば、「お客様を捌く(錯雑した物事をきちんと処理する)」でしょう。
⇒また、識が、見るもの全てを自分とは、切り離して受け止めるならば、唯識的「判断」、もしくは「認識」ではなくなるでしょう。
(例)狭いお店にお客様が沢山入ってきて、混雑しているとき、唯識的判断を持たない店員さんならば、「お客様のお相手(はたらきかける対象)をする」でしょう。
*あらや‐しき【阿頼耶識】人間存在の根底をなす意識の流れ。経験を蓄積して個性を形成し、またすべての心的活動のよりどころとなる。唯識派で説く。八識の中の第8識。
⇒経験、知識、認識から成り立つ後天の心。
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