最近、色々な人から手紙が寄せられる。それは、すごく嬉しいことだ。
人によっては、「風水は勉強したことがないけれど、あなたの言う風水を知りたい。」、「あなたの目指す世界を一緒に見てみたい。」とまで言ってくれる。
色々なコメントが、ぼくの歩みの一歩一歩を力強くさせる。
新しく、志を共にする「同志」が集まって来てくれる。まだ、実績も何も無い、ぼくを頼りに。
方や、ぼくを頼りに一緒に歩いてきた「仲間」が、ぼくを悲しくさせる。
つまらないプライドとか、欲望とか、そんなもの全て捨てて、もっと自由に生きられたらと思う。
新しい人たちが集まった時に、ぼくらは模範となるべく行動できなければならない。それは、傲慢に、ぼくのそばで胡坐をかいて努力を怠ることではない。心を静かにして思い出してもらいたい。この写真の沈黙と目指すものを。今、一人一人が試されている。一人一人が見られている。穴が開くくらい見られている。
そして、ぼくの仲間がポッカリと開いたブラックホールのような、人生と人生が交錯する穴から洩れて落ちて行く。ぼくは、後ろめたいことなど、何もしていないのに。
ぼくに対して、後ろめたい人間が、背を向け、顔を背ける。この闇の中にあって、君の顔が見えなくなってゆく。頼りにしていたのに。それくらいの覚悟しかなかったのかと思うと、虚しい。ぼくは、皆の明日になろうと、人生までかけているのに。
この闇を切り裂き、前に進まなければならないのに、この闇の中で、「仲間」との関係までを切り裂き、前に進まなければいけないとは。
何という皮肉だろう!
闇に埋もれて行く仲間の手を取り上げ、救い出せずに、闇の中ではぐれ、置いて行くことになるとは!
己の無力をただ痛感する。この痛みを君が感じている以上に胸に刻むことを誓う!
この世界の闇は、かくも根深く恐ろしい。深い闇が根を下ろした世界を気配を殺して、ここまで走ってきた。この闇を走り抜けるための回答は、たった一つだ。それには、志という光を高く掲げ、共に灯せないならば、「仲間」ではあっても、「同志」として、新しい世界を目指せない。この闇の中で生き別れになってしまう。
気を目的となる対象にあわせて確かに持つこと。それが、正気を保つことだったし、また、「気持ち」の問題だった。気が途切れることは、即ち、死を意味する。仲間と仲間の関係にあって、「気持ち」が通じなくなる時、袂は分かれて行く。はじめにあった「気持ち」を維持して、高い「志」に向かわなくてはならない。しかし、まだ信じている。「こんなつまらないところで、大事な仲間が死ぬはずがない」と。
そして、「同志」でなければ共に登れない険しい山まで来てしまった。ここから一気に、この闇を走りぬける。
闇の中ではぐれた「仲間」が見当たらないよ。
新しい同志たちが、ポンとぼくの背中を叩く。そして、言う。
同志たち:「さあ、行こう!止まったら、皆死ぬぞ。」。
ぼくは、止まれない。新しい同志、希望の光を持ち寄る多くの人々の想いを深呼吸して、ここからは、呼吸を止めて、一気に走り抜けなくてはならない。悲しみも全部、味方にして、今は走り抜けなくてはならない。
止まったら、皆を犠牲にしてしまうから。
今は、後ろを振り向く余裕が無い。お仲間と呼ばれた皆、ただ、今だけは、黙って走り抜けるぼくについてきてもらいたい。そうしないと、ここではぐれてしまう。こんなつまらないところで。
*この写真の場所がつまらない場所だったように。
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