近年様々な「エコ村」が誕生してきていますが、実体のないただの「エゴ村」のケースが多く、腹を抱えて笑ってしまいます。
人は簡単に騙されるんだなぁと。
「エコ村」というの名前の二束三文の土地を高値で売るために、不動産会社と建築会社に巧妙にセットされた「イカサマ・エコ村」が、世間で認知されているのが笑えてしまうのです。
エコ村がこんなに騒がれるのは、今までは、都市や都会に住んでいることがステータスであり、ブランドでもあったかつての様相と違う時勢のためです。
今までは、都市に住むことは、より快適であり、より便利であり、医療などの面からも、より安全だったのですが、食料品が危険視され、建築物に含まれる化学物質などによる被害も暴かれはじめ、「医(あえて医)・食・住」のうち、「食」と「住」の二つが、都市の中にいればいるほど危険だということになってきました。
そのために、様々なエコ村という名前を関したなんらコンセプトも、思想も持たずに、「食」と「住」の二つの安全対策も示すことのない偽善に満ち満ちた「エコ村」があちこちで誕生してきています。
そして、それらは根本的な解決を何一つ持っていません。
つまり、本質を履き違えているのです。
そのような、イカサマ・エコ村では、何一つ未来に示せません。
そして、それらの「エコ村」というの名前の二束三文の土地を高値で売るために、不動産会社と建築会社に巧妙にセットされた「イカサマ・エコ村」が、世間で認知されているのが笑えます。
私はエゴ村と呼んでいますがね(笑)。
滋賀県にできた小舟木(こぶなき)エコ村は、村の図面を見て即座にエゴ村と判断しました。それは、住宅展示場と変わらないつくりで、多くの建築業者がどれだけ、化学物質を含まない建材を使用しているかなどは、示されていないし、なんら地域との融和、調和を考慮した景観学に基づいていない都会の家が田舎の田んぼにワープしちゃっただけのつくりになっています。
また、下水の処理方法やゴミの処理の仕方にも、なんらエコをうたうだけの工夫は見られないのです。ただ、庭が広くて家庭菜園ができればエコなのでしょうか?あなたたちの言うエコの定義って何でしょうか?
疑問はただ、ただ尽きないのです。
また、風水を看させていただければ、龍もなければ、守るべき構造物も何も無い。ただ、「昔、ここ田んぼだったしょ?絶対、田んぼだったしょ?」という平地にできたエコ村という名前を冠した住宅展示場のような場所なのです。
白鳥川に沿っているが、明らかに川の東に作ったほうが、ここよりは風水が良かったでしょう。
この小舟木エコ村には、風水的魅力は何も無いです。
今年は、これらの失敗作、もしくはただの不動産会社と建築会社が仕組んだイカサマ・エコ村の実態を暴くために、羅盤片手に旅に出ることになりそうです。
社会に対して警鐘を鳴らすのが、我が家が先祖伝来行ってきたことなので、私もまたその血を継承しているのでしょう。
そのため、風水学、建築学、環境学、景観学、科学の視点を伴い、世間でエコ村と言われる危険な「ザ・ヴィレッジ」を斬りに行こうと思います。
今年は、「エコ」という言葉を皆さんがたくさん目にするでしょう。しかし、無条件で受け入れるのが一番危険な言葉が、「エコ」だと言うことをどうか忘れないでください。
例えば、食品に関しても、有機農法や自然栽培といろいろな目新しいものを目にし、「安全」であると思うのは、自由ですが、そこに潜む危険な思想に巻き込まれて洗脳されてはいけません。安全性をうたう農業とカルトが兄弟みたいになった形式を多く見かけます。一歩間違えれば、「日本一有名な村」になった上九一色村。
最近、「自然が教えてくれる自然の摂理にゆだねる」などと書いてある野菜屋さんのキャッチフレーズを見ましたが、これも笑えます。何一つ本質に迫っていません。
本来人間が農耕を始めたのは、自分たち人間が生きてゆくためであるし、自然に対して行った最たる人為的なものの極みが農業であると言う歴史を無視していますね。本来の人間の自然に一番近い生き方は、歴史をさかのぼるかぎり狩猟や遊牧だったのですから。
もし、仮に本当に「自然が教えてくれる自然の摂理にゆだねる」ならば、狩猟、遊牧生活ということになります。
そもそも、人間が作物と呼び食べれる野菜や穀物たちは、ほとんどが食べれるようになるまでに長い年月をかけて、育てられ改良を加えられてきたものであり、自然の摂理のままに作物をほったらかしておいたら、もともと毒性が強い、野菜などは、それこそ毒性の強いものになり、人間が食べれないものとして進化を遂げるでしょう。作物である野菜が、自然界で生き残るために。
例えば、エジプト原産のモロヘイヤという植物があります。ビタミン、ミネラルが豊富な植物ですが、種子は毒性が強くて食べれません。古代種は、今もその毒性を残しているものも多く、生野菜の毒性は強いものも多いのです。
それは、植物が昆虫等に食べられないように葉に毒を溜めるのはごく自然の摂理に則った現象です。もちろん、哺乳類には影響のない範囲ですが、食品の安全性を叫ぶ輩が野菜を生でバリボリ食って「ヘルシー」とか言ってるのは滑稽な話なのです。
いわば、作物の毒性がいかなるものであったかを考える上での顕著な例は、それらの毒性を有効に活かした漢方薬で使われる薬効を持つ薬草たちです。毒も正しく使えば、薬になります。
つまり、人間は自分たちが自然界で生き残ろうとする強いエゴ、いわば自我が、自分たちの生存を保とうとする意志のもとに、自然界の秩序を乱しながら生きながらえた一つの種族であると言う事実は、アダムとイブの時代から人間が背負ったキリスト教で言う「原罪」そのものなのです。
つまり、人間の営み自体が、何一つ自然界の摂理になど、則っていないから、儒教は人間の退化を切実に嘆き、仏教、道教は出家というシステムがあり、真に自然界の摂理に戻ろうとする人間たちは、悟りを求めて、修行者になるのではないでしょうか。
禁断の木の実は齧られ、農耕生活の始まりと共に、移住型から定住型の生活に切り替わるにあたって、都市と呼ばれる政治・経済・文化の中核をなす人口の集中地域が誕生し始めます。都市とは、本来、暴漢や盗賊たちから自衛をするために発展していったものでしたが、今ではその都市にいることが、殺人や危険な汚染食物、生活空間を取り囲む化学物質まみれの建材に汚染されるように生きながらえているのが実態となってしまいました。
そして、それに漬け込むように、通常価格の二倍はする安全をうたう食料品がたくさん出回っていますが、残念ながら一般的に国民の所得水準は二倍にまで跳ね上がっていません。
安全ではあるが、高価なものを食べるために、奴隷のように都市で働きながら、生活費の大半を高価で安全な食べ物のために捧げ、生きて行くのならば、いっそのこと自分で自分たちの食べる分だけを作れるように農業でもやりながら暮らしたほうが百倍安全で費用対効果の高い生活になる時代の潮流を感じます。
また、実際にそれらの安全性の高いとされる食物が、そこまで値段も高いものかと疑問を感じることもしばしばです。
それは、資本主義社会の延長で、「この安全な食べ物たちを買えないような人間は危険なものでも食べてろ!」とでも言わんばかりの強引な、無理な料金設定を感じてしまうのです。私の気のせいでしょうか?
もちろん、セレブと呼ばれる人たちにとっては、蚊にさされたほどの値段なのかもしれませんが、セレブな人間しか買えない値段設定の有機農法、自然栽培の食物ほど、人間にとって「不自然」と言わざるを得ないのは、私の気のせいでしょうか?
人間は蚊や蚋にさされすぎると危ないですよね(笑)。
このような値段設定になるのには、もちろん、国家が農業に対して省みられない政策や、日本の貨幣価値が著しく高いため、貿易によって、安価な外国産の作物を輸入する悪循環の中にもあるのかもしれません。
しかし、近年高まる食の安全性の見直しは、農薬にしても基準値以下のより安全なものを個が求めしてまう風潮を作り出しました。国民の関心は、今やより安全にがテーマなのです。
そこには、当然、個における安全性の捉え方という差異もあるのでしょうけれども、必要以上に取り上げられ、扇動された流れを感じます。つまり、集団社会において、一番怖いのは設定され埋め込まれ仕組まれたパニックであり、国民総パニック、群衆ヒステリー状態に陥ることなのです。かつてのナチス・ドイツの共和国や1970年代に二度あったオイルショックなどが顕著な例でしょう。
昨年も、原油価格の激しい変動がありましたね。そして、群衆心理は株や先物取引にみられる市場価格にも反映されます。原油価格の高騰とは大義名分に過ぎずに、根底には石油メーカーの思惑が含まれているのです。
現代では、群衆ヒステリー状態を国民に喚起させることは、一つのブームを起こす上で、様々な意図でビジネスとして応用されています。二束三文の土地が高値をつけるエコ村(と呼ばれるもの)や安全性と値段が高い農作物などに顕著でしょう。
しかし、高度経済成長期(1955-1973)の環境など配慮することすらなかった公害だらけの危険な工業化時代を力強く生き抜き、今に比べ、もっと安全ではない農薬が染み付いた農作物を食べ、今と違って健康ブームなどで抑圧されることなく、タバコをバリバリ吸ってらっしゃったお年寄りの皆さんたちが、高齢化社会を築き、長寿で元気に暮らしてらっしゃる現実は、見落とされがちです(笑)。もちろん、医療の進歩もその要因として挙げられます。
人間はそんなに弱い生き物ではなく、その最たる特長が環境に適応する恒温動物に見られる適応能力だったのにも係わらず、パニック状態、群衆ヒステリーに陥ると、その弱さを露呈します。
例えば、空気を吸うことは危険です。
活性酸素を血中に多く取り込み、それだけ寿命が減るかもしれません。
ともすれば、こんな考え方もできるのですが、呼吸を停止させ続ける勇気のあるものは少ないでしょう(笑)。
つまり、私がここで何が言いたいかと申しますと、人間が「何に対して安全を求めているのか?」が、正しく見えているのかが一番大事な問題だと言いたいのです。
そこに、全ての本質があるのに、人は、「安全」というラベルしか目で追わないのが悔やまれてなりません。
私は、この「安全」に対して、違う二文字を置きます。
「行善(あんぜん)」です。「行(こう)」は、「あん」とも読め、「すすむこと」・「旅」・「道を行くこと」を意味します。「善」は、「正しいこと」です。
つまり、私の言う「行善(あんぜん)」とは、「正しい道を歩む」ことを意味します。
安全とされるものが、10%の富裕層しか買えずに、90%の低所得層は、安全ではないものを食べなくてはいけないことが、正しい道を行くことになっているのでしょうか?
そのような国家のあり方に対して懐疑的になってしまう、私は間違っているのでしょうか?
それならば、「行善(あんぜん)」、「正しい道を歩む」ことは示されるべきではないでしょうか。
そして、それは、人生の過ごし方にあらわれるものであると信じています。
そのような、ライフスタイルを示せなくなってしまった国家や社会に対して疑問を感じます。
だから、私は仲間たちと創設する綾部の「エコ村」には、半分の生活を安全な食物を自分たちで自分たちの分を供給できるように務め、残った半分の自分の余暇を「正しい道」に行けるように、「行善(あんぜん)」のもう一つの意味である「行(あん)」を「行(ぎょう)」として過ごせるようにすべきだと思うのです。
この場合の「行(ぎょう)」とは、「実践」、「修道」と言う意味であり、先ほどから論じている「行善(あんぜん)」である「正しい道を歩む」ことのための「実践」であり、「修道」をすることだと指摘したいです。
そして、「修道」とは東西を問わず、長い悠久の歴史の中で、途絶えることなく行われ続けた人間の営みの一つです。例えば、現代も活動するカトリック教会最古の修道会であるベネディクト会の「修道」は、「よく働き、よく祈る」をテーゼとし、それは禅の「よく働き、よく打坐(瞑想)する」とまったく共通するのではないでしょうか。
13世紀前半頃に成立した、中世日本の説話物語集である『宇治拾遺物語』に、
「庭に橘の木あり。木の下に行道したる跡あり。」
とあります。これは、「行道(ぎょうどう)」と呼ばれるもので、経行(きんひん)に同じく、修禅法の一つです。意味は、「瞑想しながら一定の距離を歩行往来すること」です。
私は、「行(ぎょう)」の意味を「瞑想しながら人生を歩む」ことと解しています。
では、「瞑想」とは何でしょうか?
「瞑想」の意味を考えるにあたって、本来の字義は、「冥想」であり、古くは『荘子』に書かれており、荘子(紀元前369年-紀元前286年)は、「瞑想にふける」と「徳充符篇」に記しています。また、『荘子』「知北遊篇」には、「昼瞑」と書かれ、昼寝と解せます。
荘子にとって、瞑想の「瞑」とは「寝る」ことであり、胡蝶の夢からも明らかなように、荘子の思想は、人間は夢の中にあり、幾つもの夢を同時に生きているというものでした。
その荘子の思想を踏まえるのならば、「天地篇」に「冥冥のうちに視(み)、声なきを聴く」とあるように、「夢の中にあり、夢と気づき見て、聴く」ことができるようになるための方法が、「寝る(瞑)」ことに、「気づく(想)」ための方法(ふける)だったのではないでしょうか。
この『荘子』の寝るという意味と覚めるという意味であった「冥想」という語は、まるで、寝て覚める「人生」を表した語のようにも思えます。
そして、この「冥想」という言葉を中国仏教の「禅」の意味に用いたのは、東晋の僧にして、格義仏教の代表的人物である支遁(しとん)(314-366)です。
支遁の、詩の一節に
「逍液して空無に帰す。無や復(ま)た何ぞ傷(いた)まん。万殊、一塗に帰す。道会して冥想を貴ぶ。」
とあります。
この詩から派生して、「冥想」とは、「一に帰す」こと、「道に合致する」ことの意味として、禅の専門用語として、この言葉が使われ始めました。
中村元氏によると、
「伝統的な仏教ではそれ以後この語(冥想)はほとんど用いられていない。近代仏教学がヨーロッパにおこり、禅をmeditationと訳すことが多くなった。ことに近年、禅の実修が西洋でも盛んになり、そのmeditationが邦訳されて〈冥想〉と呼ばれている。しかし西洋の学者の中には、禅をmeditationと訳すことは不適切であると考え、サンスクリット語やパーリ語をそのまま用いたり、あるいはzen、zazen、もしくはcontemplation、concentration、musingなどの訳語もある。」
また、中村元氏は、冥想の現代的意義についてこう語ります。
「東西文化の交流が盛んになり、禅が心理学や精神医学の領域から注目され、あるいはそれぞれの領域で、催眠などの独自の技法も発展しており、それらを含めて冥想と呼ばれている。さらに、黙想や観想の伝統を持つカトリックと禅宗とが、互いに相手の実修法を試みることが行われており、将来の冥想がどのように展開するか期待される。」
私は、「瞑想(冥想)」とは、「眠りから覚めること」であり、人間が「人間の生活の営みに気づく」ための方法だと考えています。それは、「禅」という言葉に置き換えてもよいし、「行(ぎょう)」という言葉に置き換えても良いと思います。
「眠りから覚め、人間の営みを歩む」ことを、「正しい道へ歩む」という意味も込めて、「行善(あんぜん)」であると言いたいのです。
即ち「瞑想」とは、一つのライフスタイルであるべきだと思います。そして、「瞑想」がライフスタイルであったから、出家者と呼ばれる人たちが古代から綿々と、いつの時代もいるのでしょう。
生活を「禅」であるため、「瞑想」、「行」であるために。
しかし、ここで人は何故、そこまでの覚悟を持ち出家などできたのかと疑問を持つでしょう。
そこには、人が本質的に「善」を見抜く習性、アート(芸術)への回帰を求めてしまうためだと思います。
アートには、二種類あります。表に表れてきて目に映る「顕」としてのアートと、表に顕われて来ない心に映る「密」としてのアートです。どちらにも共通しているのは、人が係わり、人が感動する力があるものだということではないでしょうか。
「顕」としてのアートとは、わかりやすい芸術作品に顕著ですね。賛否両論こそあれ、作品としてのアートはあります。
では、「密」としてのアートとは、何なのでしょうか?
これは、今の時代に見失われてしまった心の眼で捉えるアートのことです。そして、それは人の生き様において顕われてくる感動なのです。
鎌倉時代初期の禅僧で、日本曹洞宗の開祖である道元(1200-1253)を描いた「禅 ZEN」という映画が、1月10日から上映されます。
この映画は、道元の生き様を描いたものです。坐禅をしすぎて、お尻の皮が破けて骨が飛び出すほどの打坐をした道元です、その生き様も、起伏にとんだものでした。時代が違うので、目で見るものは作られた映像にすぎずに、実際に目で見ることはできませんが、道元の生き様には、人を感動させる力があります。
それは、禅宗の初祖とされる達磨(?-530)が、インドから中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて九年の面壁、坐禅をしたという言い伝えそのものが「教え」として受け継がれた痕跡なのではないでしょうか。そのような尋常ではない人智を超えたところに「密」としての「教え」、つまり、アート、感動があるのです。
そして、そのような宗教に見られる偉人たちの伝習録は、一つの「教え」となり、確実に形がないのにも係わらず、人々に受け継がれ伝わり、体現されます。それは、達磨から時代を飛び超えて道元に受け継がれた精神に顕われているように。
このアート(芸術)とは、「人間の営みから生まれてくるもの」であるならば、「瞑想(冥想)」と同じく、人間が「人間の生活の営み気づく」こと、即ち「眠りから覚めること」と、同義ということになります。
つまり、瞑想(人間の正しい営み)と芸術(人間への教え)は同義なのです。
私は、本当のアートとは、「顕密一如」であり、二つ兼ね備えたものが本当のアート(芸術)なのだと考えてしまいます。
「人間の正しい営み(瞑想)」と「人間への教え(芸術)」の二つが揃ったものが、本当のエコ村になる可能性を秘めているのではないでしょうか。
それは、ひとえに景観ばかり重んじた美であってもならないし、人間の営みに対する「教え」のない場、学びのない場であってもならないのだと思います。
「顕」・・・安全・・・「農業(人間の正しい実生活の営み)」・「景観(環境への教え)」
「密」・・・行善・・・「瞑想(人間の正しい心の生活の営み)」・「芸術(人間への教え)」
この「顕」と「密」、二つのポイントを見つめつつ、私はエコ村というものを深く想ってしまいます。だから、半農半禅を提唱します。
物事の本質に迫るアプローチとして、文化と芸術を抜きにして考えることはできないでしょう。
<関係ページ>
にほんブログ村ランキング