文: ダニエル
京都から戻りました。色々と書くべきことが山積みで(仕事も)、どの辺りから手をつけようかという具合なのですが、一番好きな場所から行くことにします。
今回も、四泊五日が、五泊六日になってしまい、予定よりも随分と時間がかかってしまいました。
水龍(水口向+龍)を追いかけ、福井県まで踏み入り、山龍を追い、滋賀県まで滑り込み、京都から、三都物語りなってしまいましたので、このコーナー『風水西遊記』も、三都(京都・滋賀・福井)に分け、地域ごとに投稿したい次第です。
また、お仲間の皆がそれぞれに感じたものを発表する形式で、このコーナーを楽しめたら良いなという狙いもありますので、ぼくらのライフスタイル「風水のある旅」を皆さんと満喫できたら幸いです。
5月18日(日)、朝九時の待ち合わせだったが、出発間際の前日、お仲間ノエルの登山道具一式を買うのを手伝わされ、買い物だけで、6時間ほど時間を消費してしまい、前日に用意も何も出来なかったのである。と謂うのも、その前の日にも、トレッキングシューズやら、色々とお仲間と買いに行ったのだが、その日、閉店前際に到着したので、自分のものだけさっさと買って、ノエルに、「自分のものだけ買った。裏切り者。」扱いされたので、次の日も同行せざるを得なくなったのである。(。♋ฺ‸♋ฺ。)
店員さんが、貧血で倒れそうになるほど、品定めが厳しいノエルは、やはり、女の子なのだろう。店員さん曰く、「こんな難しいお客さん初めてです」と、泣いていた。(。♋ฺ‸♋ฺ。)
とはいえ、ノエルは体力がないため、グッズ選びの品定めをはじめて、5時間を過ぎた辺りからは、急激に思考力が麻痺したらしく、必要なリュックなどは、ダニエルが適当なものを選んで背負わせ、そのまま、レジに向かわせたりしたため、最後の一時間で、ほとんどの買い物を終えたのである。最終的に、本人はいくら使ったかも憶えていなかった。
出発日の朝方、仕事が片付かなく、「えらく、すみませんのう。十時にしてくださいな(京都調)」と、朝の九時にお仲間に嘆願する。多分、皆は、電話を切った後に、「またかよ!」と、エド辺りが愚痴をこぼしていたのは、間違いないだろう。「また、なんです」。(。♋ฺ‸♋ฺ。)
とはいえ、この時、アンドリューも、1時間遅刻をしていて、皆に置いて行かれたと勝手に勘違いして、遅刻したアンドリューが、我々よりも、先に新幹線に乗り込んでいたのは、後々判明した悲しい事実だった。アンドリューは、いつも勘違いして、先走り、トンデモないことをしてしまう。(。♋ฺ‸♋ฺ。)
ひかりに乗ったアンドリューに対して、我々はこだまだったので、わずかな差で、京都で合流できた。この間の旅で、装備が軽率すぎて、山中痛い目にあった同志、アンドリューだが、なんとジーパンを履き、肩掛けカバンを肩にかけていた。まるで、浪人生のようないでたちである。そう、この学習能力の高さが、アンドリューの売りでもある。そして、何故か、我々を笑かしてしまうのである。(。♋ฺ‸♋ฺ。)
素早く、レンタカーを駆り、京都市内を素通りして、綾部の○○村に向かう。車で、1時間半ほどで、目的地の入り口に差し掛かる。我々は、そこで車を止め、入り口に立ったことを実感する。こののどかな、風景は、綾部の始まりを物語る。
いつもように、鳥瞰図や衛星地図上から形勢を見極める。そして、国土地理院の25000分の1マップで、等高線から、地形を再確認する。実際、風水とは、地理術でもあるのだ。そして、この時点で、おおまかな必要最低限の判断は終わる。時代は便利なった。もちろん、ダニエルは、職人気質なので、自分でその地に行って、地面を踏みしめ、感じられるものを大事にします。
水源の豊富な、綾部○○村は、のどかな田園風景が続くのである。どこからでも水を引いてこれる利点があり、近年では、水の里などとも呼ばれている。我々は、その辺を流れる水を手ですくっては、「飲んでみな!」と互いに言って、飲んだフリをして、相手が飲むのを見て、安心して飲んだり、楽しんだりしたのである。もちろん、誰もおなかを壊さなかったので、すごく安全なんです(我々で人体実験済み)。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
もちろん、このパワースポット水の里でも、近年目まぐるしい変化が起きていることが、目に取れて分かった。写真にあるように、使われていない田んぼがあまりにも多いのだ。これは、高齢化と、若い人の里離れが続き、田んぼを耕やしたり、田植えをする人がいないのだ。限界集落も増えてきた・・・。僕の知っている綾部が確実に変わって行くのを感じた。この肥沃で、清らかな水が溢れる大地から人々が、一人一人と薄汚れた欲望の都へと消えて行く・・・。このように村が寂れてきているのを悲しく感じた。 田は無くとも、水は、ただ流るる。人がいなくなってしまう景色に、人の存在意義はいずこに?
この村に住まう友人のおじいちゃんの家で田植えをしたのが、今となっては懐かしい。友人のおじいちゃんは、言っていた「この村の人々が鋤を手放す。農協に搾取されるだけの生活に疲れた人々は、いつしか、トラクターも、高い肥料、農薬も買わなくて良い生活を求めるのも当然なのだろう」と。そう、これはこの国の問題でもあるのだ。
村自体が、素晴らしい磁場を形成する綾部○○村では、複数の過脈が連なり、幾つかの要所で確実に龍穴が結ばれているため、その幾つかを実地で見るのが、今回の目的でした。そのうちの一つは、明堂にあたる場所の地面から鉱物を沢山含む、水がじわりじわりと溢れてきており、天然の龍穴を形成し、その龍穴から読み取れたことは、限界集落が増え、衰えてきた綾部を再び復活する明るい兆しです。その龍穴は、現在は機能していなかったのですが、人が手を加えることで、確実にブレイクします。
綾部に見られる高齢化で増え続ける 限界集落を救う突破口になるかもしれません。そこでは、確実に温泉が出ます。それを利用して、観光や地域特産品を特化すれば、忘却され、社会から抹殺されそうになっている限界集落を必ず救うことが出来ると思います。
そして、その土地の龍穴を使い、その土地の人々を救う。ここに、風水が「地靈人傑」であったと言われる原点があることを再認識しました。
今回の旅で痛感したのは、「風水は人を助け、救う技術」であるという事実です。
それができる風水であってこそ、この世に有益なものなのではないでしょうか。
ぼくは、綾部の○○村にある沢山の限界集落を救うために、自分の持てる風水術を駆使して、この村に貢献したいと思います。理由は簡単で、「ぼくは綾部を愛しているし、そうしなくちゃいけない気がする」からです。(・´з`・)
計らずとも、今回の旅の途上で迎えてしまった33歳の誕生日の日、亀岡の大本教本部の本殿にて瞑想しながら、ぼくはそんなことを漠然と思っていました。
ぼくは、大本教徒では、ありませんが、習ってきたものの中には靈脈的に関係を持っているものもあります。また、大本教は、綾部から発生しましたが、大本教に限らず、形骸化した宗教は、綾部の増え続ける限界集落に見られるように、地域の困った人すら救うことができていないのが現状です。
本来、宗教は、政治の手の届かぬところなどで、貧困にあえぐ人々に手を差し伸べるなどのボランティア行為を宗教的美徳として実践していたのではないでしょうか。今は・・・無。ヽ(`△´)/
綾部には、古き日々の、大本教を誕生させたように、かつては神聖な気が溢れ出していました。それは今も、渦巻いています。ただ、先に述べた龍穴のように、風水が正しく機能し、活用されてないのです。明らかに、風水ができる人間のテコ入れが必要です。ぼくは、自分の愛すべき原型風景がある綾部のために何とかしたいと常日頃考えておりました。そして、ようやく、今回その兆しが見え始めました。自分の風水の実践として、綾部は、ぼくの課題となりました。
今回は、お仲間の皆と、「綾部の○○村を救うために、一緒に何とかしよう!」熱く誓ったのでした。
この様に、「世に役立つもの」として、風水が活用されてゆく時、風水は、「術」から、「思想」へと飛翔すると信じています。
少し、先のことになりそうですが。ぼくは綾部の再生に取り組みたいです。ちなみに、今回発見した龍穴から、志ある人々を集める気配を既に漂わせていました。そして、その様な人たちが、既に何らかのアクションをはじめたと聞きます。是非、協力したい次第です。「志のままに」が、ぼくの風水のテーマです。
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