2008年9月29日 (月)
半農半禅
風水が、「開運とか財運とか欲望を煽るコテコテの世界になっている」と、朋友のイスカンダルさんから指摘され、そのとおりだと思う。
特に、この豊かな国である日本にいることが、現在8億人の飢餓人口と将来の食糧に対する不安を我々に考慮させません。生まれてくる場所の経度ちょっとズレていただけで、この死を宣告された8億人の中に自分が入っていたかもしれないのに。
この虚飾に見せられた栄華と豊かさが、人々を盲目にしてしまいます。ぼくは、人が虫ケラのように殺されることが許せません。そして、今の日本を見ていると、風水も自分が「人よりも幸福、人よりも豊か、人よりも富みたい」と、とりとめもない欲望の対称にしかされていません。
ぼくが個人鑑定をしないのは、その辺りに理由があります。大抵の人間が風水に求めるものは「欲望を助長させる」ことです。
そして、そういった風水によって運を変え、その目的がいたって自分達を満足させるだけの欲望を助長させるために、誰かが傷つき、誰かが犠牲になるというのは、この社会、ひいてはこの食糧問題を抱える地球の縮図があります。
それは、市場の競争原理です。つまり、誰かを虫ケラのように犠牲にしてまで、自分たちだけ豊か、幸せになるために風水を用いようとする人々に対して、どうしてぼくが手を貸さなければならないのですかという問題なのです。
ぼくの風水は、そんな汚れた系譜の中から生まれてきたものではありません。例えば、ぼくの風水の師匠の一人、ある戦士さんの祖父は、清朝末期に宰相をしており、国家の命運に携わった一人ですし、ある戦士さん自身が、そんな汚れた世界に手を染めることを潔しとせず、無一物の居士として生活しております。
明澄透派十三代張明澄先生(1934年-2004年)は、裕福な人からいくらお金を積まれても、その人の業と合致しなければ、風水を用いませんでした。というより、話をするのも嫌がっていました。しかし、貧しい人を見ると、無料で風水を施し、感謝される高徳の人だったのです。
そして、伝えたい! これが、本当の五術だ! これが本当の伝統文化だ!
この心たちは常に人を救済しようとしてきた。 この受け継がれた心を見て欲しい。
そういった系譜に連なるぼくは、悪業も悪徳も積む気はありません。それは、先代を辱めるような徒弟ではないからです。
ぼくが動く時は、自然界の調和とバランスの中で要求された業のバランスが平衡を保つ時のみです。それはあたかも、地靈人傑の説明である「交靈1」「交霊2」で、出てきたクライアントのL氏のように、既に寝たきりになった両親のために、自分がどんな目にあおうと、この二人を守りたいという強い気持ちを自然界に投げ与えた時に生まれてくる代価のバランスを終え、自然界の業が平衡を保った関係を持ったときに動きました。
つまり、「誰かのために自分を犠牲にしてでもいい」そういった覚悟を持った保身と欲望が動機ではない人間のみが、ぼくが風水を個人に用いるときの対象となるのです。それが、ぼくの見つめる風水の正しい在り方です。もちろん、鑑定料金無料で動きます。
保身と欲望で凝り固まった人間のために差し伸べる手があるとするならば、まず、己を省みて、自分が必要以上の欲望に捕らわれていないかを諭してあげる事の方が大事です。
誰もが幸せになりたい、誰もがお金持ちになりたい。そういった夢を見るのは結構なことですが、それ自身が市場原理主義の犠牲者なのです。幸せとは人からもらうものでもなければ、お金によって満たされるものでもないのです。
幸福とは、「心が満ち足りる」ことで、幸不幸とは人の行き先です。つまり、心が行き先を判断し、満ち足りているかどうかを決めるのです。この「心」に欲望を纏い、洗脳されたかのように世間の定義だけを当てはめ、市場原理主義に毒されてしまった自分を見つめなおすことをお勧めします。
本当の自分の幸せ、行く先が欲望に支配され、見えなくなり、心が満ち足りることがなくなった亡霊のように彷徨う魂を持つ人々は、立ち止まって考えるべきです。本当の幸せ「行き先」について、そして、何によって幸福「心が満ち足りる」かということを。欲望を延長して、幸せ「行き先」にしないでください。そんな自分を見出したら、自分に哀れみをかけてあげてください。
それは、お金持ちになり、勝ち組になったから、得られるものなのでしょうか?
好むと好まざるに関わらず、市場の競争原理に当てはめると、貧困層からのボトムアップは、勝ち組がいままで搾取してきた旨味が減ってしまうため、勝者が自分の身を切ってまで弱者に手を差し延べるというのは考えにくい世の中です。
逆説的に言えば、格差があるからこその旨味であり、「食糧問題を抱えつつも(解決に向かうフリをしながら)解決しないまま」という構図こそが、残念ながら、今の社会の仕組みを支えています。
やはり、食糧と市場経済は切っても切り離せない問題であり、市場原理からいち早く脱却し、共認原理の社会を形成する事しか食糧問題を根本的に解決する方法はないのではないだろうか。
互いに顔の見えない社会を統合するには、共通の心、意識が必要になる。それは、欲望を助長させるだけの社会原理からの決別でもある。
日本には素晴らしい、草木成仏の思想としての「禅」がある。打坐を通じて心を安定、統一させることによって叡智を獲得し、己の欲望を支配する側に回ろうとする「禅文化」は、間違いなく個における問題である心、意識に働きかけ、思想レベルでの小欲化を成し遂げるために、残された未来の世界を、ぼくは見つめている。
ちなみに、禅には生き方があるだけで、宗教色がまるでない。仙道と禅は、江西の伍守陽(1574年-?)の『仙佛合宗』などに顕著に思想的統一を成し遂げている。実際は、唐代の三教一致に既に思想的統一は為されているし、王陽明(1472年-1528年)の思想からも窺い知ることができる。
禅には、拝むべき神など存在せずに、己の体験を持って、叡智を獲得しようとする打坐の世界観が見て取れる。
日本の未来に、塩見直紀さんの提唱する「半農半Xいう生き方」からの具体的な答えとして、「半農半禅という生き方」の生活を提唱する。というのも、自然があるから嬉しい、卵を作るのが楽しいとか、作物を作るのが楽しいという理由だけで農業を始めるのでは、結局はただの「楽しいことを追求する。」怠惰な心が生み出した産物に成り下がり、実際には厳しい農業というものを続けてはいけない。厳しい生活を支えて行くのは強い心なのだ。また、何を自然と呼ぶかはいたって、個人的な曖昧な定義に他ならない。
半分は、生活の糧のために農業しながら食糧を供給し、残りの半分は自分の精神生活を充足させる禅生活をする。ここに生きることの意味や目的を兼ね備えた一つの幸福のカタチがあるように思える。
「半農半Xという生き方」の思想が、京都の綾部から出てくること自体、霊妙な働きがまたあそこから起きて来るのだろう。京都の綾部を深く思う(京都撃壌集参照)、今日この頃である。未来の日本社会の鍵は、あそこからまた生まれてくる。
そんな未来を見つめながら、そんな未来のために動き出そうと苦心しています。
日本が市場原理主義から抜け出すために国民一人一人の心に必要な思想が求められている。
食料自給率と環境創造型農業を目指すのも大事なことで、「風水山道」が、動き出す時の未来のNPO法人「風ト水ノ界」では、徹底して、風水を用いて、村興しに取り組んで生きたい。村一つ興せない風水に何の価値もないのだから。
ぼくは、風水を個人の欲望を助長させるレベルで使いません。ぼくに風水を教えてくれた恩師達を裏切るわけには行きません。それに、風水で効果を出すということにおいて、自然界の秩序を乱すくらい精通した自信があります。それだけに、ぼくは自分のルールに忠実に従っています。もっとも、その様な道徳心を持っていなければ、そこまで精通できなかったことでしょう。それが、道縁が定力によって導かれるといわれる由縁です。
貧困に喘ぐ人々、限界家村にある悲しみ、世の中の不条理、誰かのために自分を犠牲にしてでもいいと人を愛せる人達のために、多くの悲しみ、愛と深く繋がり、虫ケラのように殺されて逝く人々を救済するために風水を使います。これが、ぼくの道徳の基準なのですから。
そのためにも、多くの人々が市場原理主義で毒された心を癒すためにも、具体的な処方を世に出して行くつもりです。そのための共認原理の社会を形成する「半農半禅という生き方」の思想を提唱します。これは、村興しから携わり、もっと深く農業、環境、建築、経済というものを見つめ、この思想をより堅固にして人々に伝えて行くのが目標で、来年からダニエルは一人でもアクションを開始します。
受け継がれたのは言葉ではなかった。受け継がれたのは技術、秘伝ではなかった。
この心一つで、徒手空拳で世界に挑む。一人の仙学の徒、風水師が、この不条理な世界に挑む戦いが来年から始まります。
これをドンキホーテが風車に挑んだ如きものだと思う人もいるでしょう。しかし、この心が砕けない限り、ぼくは風車を止めることくらいはできると証明しましょう。喩え砕けたとしても、この心を継ぐものが現れ、ぼくの倒れたところから地平線を耕すのです。そうやって、ぼく達は師の後姿を追って。この法灯は保たれてきたのですから。
今、一人一人が欲望が原動力の機械人間に成り下がらないために、社会にある常識に捕らわれずに、ありのままの己の心を深く観察し、「こんなことのために生まれてきたんじゃない!」と気づく自分を取り戻し、本当の自分を探す心の旅に出ていただきたいのです。
まずは、第一之公案として、わかりやすいところで、「より快適・より便利」に慣れきってしまった自分の生活を見つめ、それらが真に自分の成長にとって正しいことであるかを生活の中で見つめてください。
私も日夜精進ですね。
<関係ページ>
エコ村(顕密一如であるべし)
綾部視察団1
山が動く
おじいちゃん
あなたが守りたいもの
半農半禅
読者への手紙
『豐さ』
同志
風ト水ノ会
みんなの心と心が寄り添うかの時よ!
京都撃壌集-綾部篇Ⅰ
風水言志説
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コメント
はじめまして。南華様のご紹介を通じ山道様のブログを知りました。南華様とは10年来の付き合いです。張先生のことも非常に尊敬しております。張先生のご著書を通じ、東派の存在も存じておりました。東派の伝承者がこうして日本にいらっしゃりブログを書かれていることに感動しております。山道様の書かれたブログは全部拝読いたしました。半農半禅思想、素晴らしいです。どうかこれからもブログを続けてくださるようお願いいたします。
上海の風
上海の風 |
[URL] | 2008/09/29 14:22:36
上海の風さま
はじめまして、もったいないお言葉頂き、ありがたい限りでございます。
東派の中には、小生よりも兄弟子の玉靈大仙や東靈真人など、国家を変えうるほど力を持った方々がおり、末席で位階も、一段、二段下がる道人である小生としては、お恥ずかしい限りです。小生は上の二人に育てていただいたようなものでした。
これらの絶大な功夫を持った方々が世に出てきてくだされば、この世の中がもっと良くなり、ぼくが足掻く必要などないのですが。
玉靈大仙は一つの国家を変えるほどの功夫で、その力が神域に達していたので、張先生亡き後、すぐに某国から国家機密レベルのスカウトが来て、既に日本には居りません。
張先生自身、ご存命の時にCIAからのスカウトが来ました。その時、連れて来た超能力者とある案件を通して勝負をさせられたのですが、一瞬で張先生の勝ちでした。しかし、張先生は日本を離れませんでした。この内容は、東派の三人しか知りません。そして、張先生を含む我々四人全員が血統的に異邦人でした。
張先生の遺骨も台湾に戻り、日本に残されたのは、清松道人こと、わたくしと、東靈真人だけです。東靈真人は仙号からもお分かりになるように、既に悟りを維持することに努めており、完全に世捨て人で、俗世には一切係わらないとのことです。連絡が取れるのも小生だけです。ただし、張先生のことで思うことがあるらしく、目に見えないところで色々と協力していただいております。
東派の三兄弟弟子については、ここでは語るべきではない秘め事が多いため、割愛させていただきます。
最後に残された自分は、まず、自分のできることからはじめようと、裏側の世界に生きる東派の兄弟子二人とは、裏腹に表側に出て、活動を開始いたしました。差し詰め、小生は業が深かったのだと思います。
その業がへばりつくかのように、「人が虫ケラのように殺される」のが、許せません。それは、ぼくの大事な人が虫ケラのように殺されたことからきている業かもしれません。だから、この腐った世界を変えるために、思い切って世の中に飛び込むことにしました。
目下、張先生の残してくださった明澄透派の日本代表を務める掛川師兄、本家の第十四代黄文徳師兄をサポートし、張先生の残したものを保存する作業を手伝っております。
また、南華さまの携わる南華密教にも、何らかの形でお力添えしたいと考えております。
こうやって、張先生の残した人間関係とは良いものですね。阿藤さんや上海の風さまとも、皆と家族になった気さえして、日々安らいでおります。
夜空を漂うような星屑の小生ですが、この家族が一人一人が、社会の不条理に立ち向かって行く。そう、これは水滸伝の世界の現代版ですね。
一人一人がストーリーを持っている、またストーリーをつくる。そして、志しのままに皆が出会い集まり、この世界を正しく塗り替えてゆく。
そんな機運を感じる今日この頃です。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
敬具
清松道人
ダニエル |
[URL] | 2008/09/29 16:01:26
山道様
今日も、素晴らしい記事を読ませていただき、有難うございます。
本当に、次々と記事を更新されるので、ついて行くのが大変ですが、そのたびに、張先生、掛川先生に教わったことを思い出して、正しく理解するように努めております。本当に勉強になります。
上海の風さん、もう長いことお会いしていませんが、その後、上海の暮らしはいかがですか?
上海の「風水」の良さは「有情水」にあるそうですが、もっぱら競争原理に奉仕する「風水」で、心優しい上海の風さんには、キツい所かも知れません。でも、ご家族のためにも頑張ってくださいね。遠くから応援しています。
「風水」を起源に遡って本来のありかたに戻すこと。それはそのまま、張明澄先生の「名を正す」ことに繋がるのですね。
南華 |
[URL] | 2008/09/29 18:33:25
ダニエル様
ダニエル様の書いているのは『きれいごと』です。
びっくりしないでくださいね。一般的な言い回しと違いますので・・・。
すし屋の三男に育った僕にとっては、この『きれいごと』がとても重要なのです。お客さんの口に入る生ものを扱う生業なので、『きれいごと』を尽くした上でのおもてなしに入るわけです。
ぼくが高校生のときバイトしていた飲食店はとても立地が良いのでとても繁盛していましたが、厨房の人がトイレで手も洗わずに出てくるのはびっくりしました。マクロにみれば、お米の偽装も同じ考え方で、自分が口にするわけではないという『ひとごと』という『きれいごと』の対極にある無関心なのかもしれません。
そんなダニエルさんは、ミヒャエルエンデの『モモ』や裸の王様に『裸ですよ』と言う子供であったり南米の先住民族の伝えるクリキンディというハチドリのようです。ネオリベラリズムやエネルギー問題に対して、心と伝統と科学で戦っていきましょう!
ありがとうございます。
イスカンダル |
[URL] | 2008/09/29 22:50:54
鬼才イスカンダルさま!
流石! 見事です!
『ひとごと』と『きれいごと』のコントラスト、素晴らしい対比です。やはり、裏から表まで、世間を広く知る知己イスカンダルさんです。
そして、ぼく達は自分達に直接係わる事象を『きれいごと』として捉え、反対に他人に無関心で欲望だけが加速し、自分に直接係わる事象さえも『ひとごと』で終わらせる無関心だけが加速し、欲望だけが原動力の機械になるわけには行きません。
そのために、この心だけは綺麗にしたいものです。
だから、ぼくらは理想を追求し、『綺麗事』に恋焦がれ、夢に見続け、実現までしてしまいましょう!
科学の進歩や科学から生まれてくる環境を改善する新しい技術を無視するわけにはいきませんね。
人間の心・伝統文化・科学技術が、三位一体になった時代の科学に期待しています。
火星の家を見に行くのが楽しみですね。
追伸
裸の王様の延長で行きましょうよ。それを見ていた子供に「ママ、あのおじちゃんたちパンツはいていないよ」と言われて、警察に引っ張られて行ちゃうくらいの狂喜を持って、この『きれいごと』に取り組みましょう!
決して、そこで「あれは象さんだよ」と説明するくらいの他者にならないように頑張りましょうよ。
Woooooooooooooooo!燃えてきましたぞ。今日から、オレは「半農半禅」の前に、地球のために、子供達の前に舞い降りた「半裸犯人」だぁぁぁぁ!(笑)
ダニエル |
[URL] | 2008/09/29 23:16:21
山道様
コメントへのお返事ありがとうございました。東派の状況がよくわかり、大変興味深く拝読いたしました。私は南華様のご好意で南華密教を学ぶことができ、いまでは心の支えになっております。私などを仲間のように言っていただいて大変光栄に思っております。今後もよろしくお願い申し上げます。
上海の風
上海の風 |
[URL] | 2008/09/30 17:13:44
上海の風さま
あ、すみません、いつもイスカンダルさんと二人で、無邪気な子供のようにはしゃぐ癖があるので、なんだかお見苦しいコメントを↑で披露しているようで恥ずかしいです。(*´ェ`*)
貴殿と南華密教との出会いなど色々と、経緯をお聞きしました。
色々とご苦労されたようで。ただ、上海の風さまが、南華でいうところの四つの区分の修練家ならば、それも避けて通れないことだったのでしょう。
功法を求めてしまいますから、色々な物の怪と出会うことにもなります。
若輩者の小生のアドバイスなのですが、一修練家として申し上げますと、我々修練家は予想もつかないような障害に会いますが、常に乗り越える鍵は、たった一つで、「受け入れること」だと思います。
過去から逃げるのではなく、受け入れることが全てを解決するのだと信じております。
もちろん、修練家のあるべき態度の基本として、「自分に対して非情になる」ことが、厳しい修練の世界で生き残る方法なのは言うまでもありませんが、「自分に対して非情なまでも受け入れる」ことが、最大の秘訣です。
共に頑張りましょう。
ダニエル |
[URL] | 2008/09/30 22:31:41
山道様
こんにちは
今日から国慶節休暇に入り3日ほど上海を離れます。すぐに出ますので上海に戻ってからまたご連絡いたします。貴重な情報ありがとうございました。
上海の風
上海の風 |
[URL] | 2008/10/01 8:04:46
南華さま
> 本当に、次々と記事を更新されるので、ついて行くのが大変ですが、
>そのたびに、張先生、掛川先生に教わったことを思い出して、正しく理解するように努めております。本当に勉強になります。
確かに、狂ったように書いている最近です。師兄にもお話しましたが、最近、張先生の夢を二度見ました。
一度目は、台湾の納屋のようなところから白い服を着た張先生が出てきて、部屋の奥にあるものを持っていって良いと言います。
木でできた古い箱に色々ノートや、今では珍しいマイク付のカセットテープ録音機材など色々あり、手に取り眺めて、半開きの扉の明るい外を見ると、扉に色々と文字が書き連ねてあります。しかもびっしりと。
その内容はここでは書けませんので、師兄に話しましたので、是非、お聞きください。
二度目の夢は、師兄に話していないのですが、小さな教室で張先生の授業を受けています。黒板には逆三角形になった五体理論が書かれています。逆三角形かなと思うと、定位置にも見えたりして、記憶がだぶつきます。
その図を見ていると、張先生が突然怒り始めて、一言言われました。
張先生:「世間を騒がすな!」
そして、そのまま張先生が近寄ってきて、右手で私の後頭部を押さえ、左手の人差し指を曲げた部分で、私の額をゴリゴリしました。その瞬間指が額の内部に入り込んだ感覚がしました。
何が言いたいのか理解しましたが、反抗期の漢(オトコ)山道としては、一応、自分の言い分も申させて頂きました。
その図は、五体理論にあてつけた社会構造の図だったのです。
結局のところ、張先生は心配しているのです。表の世界に出ることは、修練家にとって、間逆の行為であり、悪い業に満たされる可能性が高いからです。
でも、張先生亡き後、玉靈大仙に着いて来いと言われましたが、袂を分かった日から、ぼくは自分の宿業である「照明」を選んだのですから、表に出ざるを得ません。
我々にとって、生きるということは残された時間をどう過ごすかという、ただ淡々と生きる単純な労働者みたいなもので、この時間を有効に使うと決めた以上、あとは世間に問うのみです。東派三兄弟の我々は会えなくとも、仲が悪いとかそういった関係ではないので。ご安心を。会おうと思えば、物理的な方法でなければ会えますし。
漢(オトコ)、清松、己が道を行きます。そして、この道が導く先が、光であると自分の運命を信じています。
共に、光りを求めましょう。
追伸
早速、張先生の残された希少な本が南華さまより届いたので、夢の内容とも符合して、感動しております。
ありがとうございました。
ご丁寧な宮印入りの印まで入った決め細やかな心づくしに、武骨者、山道、恥ずかしい限りです。
甲府まで行った折は、是非、ご挨拶申し上げます。
よろしくお願い申し上げます。
敬具
山道帰一(清松)
山道帰一 |
[URL] | 2008/10/01 16:05:08
ダニエル様
またここに戻ってきました。
忘れてはいけない原点なので。
今日、自分の立場と引き換えに
心残りだったお客様のクレーム解決を新しい経営陣に託して
参りました。
この件は先週に尾竹先生と相談し、今日けじめとして実行に移しました。
このことがきっかけで会社人としての自分の立場だけでなく、一時人生を賭けて飛び込み自分の無謀ともいえる夢を見、今や満身創痍となった思い入れのあるこの会社に
自ら止めを刺すことになるでしょう。
何の約束された保証もない未来、でも自分の中の決心と決別により心は折れるどころか強くなる。
光を忘れ闇の中もがいていたのに、やっとだけど微かな光が見えるように。
一人で立ち上がれるけど、立ち上がったあと
歩く時は、たまに一緒に歩けたら幸福です。
イスカンダル |
[URL] | 2009/06/24 0:06:08
ぼくは、忘れないでしょう。
イスカンダルさんが言ったひとこと
「オレはずっと一人で戦ってきて、営業でもトップを取ってきた」
この一言を力強く言ったときに、イスカンダルさんは、今まで見た中で一番輝いていました。
強力な仲間が現れたからといって、我々は互いに依存し、埋もれる必要はないのです。
互いに輝いているから、我々は夜空の中にあっても、互いの位置を知ることができるのではないでしょうか。
今日、台湾から戻ってくるときに、飛行機の中で、『ワルキューレ』 (Valkyrie) を見ていました。
1944年に起きたドイツ国防軍将校によるヒトラー暗殺計画「ワルキューレ作戦」と、その指揮を執った実在の将校シュタウフェンベルク大佐を描いた史実です。
ヒットラーの下では、クーデターでしたが、時代が変われば、彼らは英雄になっていました。
ちなみに、ワルキューレは神に仕える戦士で、真の戦士を苦悶の死から救うという伝説を持った北欧神話の戦神です。
今は、我々一人ひとりがもっと強くなるための道程にいると自覚しております。
いつの日か、イスカンダルさんが真実に目覚め、真実を追究しくださいますように、いつもお祈り申し上げております。
ダニエル
ダニエル |
[URL] | 2009/06/24 1:40:43