5月25日、北海道の札幌市内をコンブさんに案内され、26日の講演会の資料作りのために、札幌の風水分析を始める。 碁盤目状の町並みは、北西に四度傾いている。これは、「南北に整然とした碁盤目状の町並みを作りたかったが、明治時代に置かれた北海道開拓使の測量技術の不足から、北西に四度傾いてしまった」と、北海道の古地図収集家のY氏は語る。
北海道に来て以来、考えさせられる事がある。人間が本来の自然を開拓し、「発展」したとされる都市も、いまでは「何が発展だった」かを問われていると。
例えば、札幌市民にとっては存在意義は大きいが、小さな川である創成川は、かつて札幌中心部の都市計画において東西の基線とされ、現在でもこの川を境に東○丁目、西○丁目と住所が分かれ、北区と東区の区界ともなっている。
そして、札幌市は約120億円をかけ、交通の円滑化、交通事故の減少、環境の改善を目的に、創成川通の2つのアンダーパスを連続化する事業を行っており、「創世1.1.1.区」(そうせいさんく)と呼ばれる。
大通公園と創成川が交差するエリアを対象とした再開発が計画されている。その一つとして創成川付近でのアンダーパスの連続化工事が行われている。しかし地元住民には、土地利用の方法に関して異論があったり、工事費に対する効果を疑問視する声もある。
一度壊れた自然を人間が再び自然に歩み寄り、それを莫大な工事費をかけて復元しようとする。それは、人間の反省に他ならない。
本来有った形が、人間の営みにより、変化させられて、破壊されて、また復元されようとしている。
この様な現象を風水では、どのように考えるだろうか?
三元派・風水は時間の運行、「時間と共にどう変化するか」を理気の中に置いていおり、三合派・風水には、時間の概念がないとされるが、それは間違いである。
三合派は、形の現象変化に着目する。それは、自然界の中で変化しないものなどないという視点から、風化、雨、腐敗、様々な現象が形あるものを変化させる状態から理気を導き出す。
つまり、「形あるものがどう変化する」を理気の中に置き、形あるものが変化するのは、取りも直さず時間の変化に他ならない。ただ、時間という意識にとって曖昧な変化よりも、もっと巒頭よりで、目に見え、姿・形あるものが、どう変化するかという気の集まりである形に注目するのである。
いわば双方共に主体を「時」とするか「形」にするかで、観察対象が異なるが、「どう変化する」という点において、帰結を導き出すことに変わりはないのである。
形が変化するのは時の流れであり、時が流れれば形は変化する。
この相関関係に見られる現象の追求のスタイルの違いが、三元派・三合派と呼ばれる羅盤に顕著な違いを生み出したが、「変化した形」から答えを導く、形勢の観察を続けるよりも、「時間の経過における変化」を読み解こうとすることは、取りも直さず、時間の中に起きた予期でき得ぬことをも、その変化の中で分析していこうとする無限の調波分割を繰り返すことに他ならない。
これは非常に困難な作業であり、ここから答えを求めようとすることは、無限の中から有限を汲み上げるような作業であることは否めない。
しかし、この創成川の復活に見られる様に、我々は時間と共に変化する現象と変化した後の現象に再現性、傾向性を見出す。それは、一つの経験則となって実を結ぶ。この様な現象を追求したのが、風水と時間との関係性である。
そして、それは取りも直さず、形あるものをつくった「気」は、秩序を維持しようとする働きであり、「気」がある限り、姿かたちを変えても秩序は維持されるのである。つまり、創成川には未だに復活を成し遂げようとする秩序がある、「気」が働いているのである。
時間を考慮し、変化する姿を配慮できるのならば、未来に対して愚かしい行いをし、悪しき副産物を未来に負の遺産として、残す事がなくなるだろう。「創世1.1.1.区」に顕著なように、札幌市が約120億円をかけて、行うことは交通の円滑化、交通事故の減少、環境の改善である。こういった事態にならないように風水師たちは、時師とも呼ばれ、時を配慮し、環境や景観を重んじ、未来を護ってきた。これが、風水師の仕事であり、都市開発だったのは言うまでも無い。
「創世1.1.1+1区」という名前にして、1億オレにちょうだい。良い仕事するから。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
現代では、この自然と接することを超自然などと大層な名で呼ぶが、それがそんな難しいことなのかと、逆に疑問に思うこともしばしば。今回の北海道では、それをまじまじと感じた。我々は自然から切り離して自分たちを考えるようになり、あまりにも人工的になり過ぎてしまった。自然は、我々を取り巻き、我々もまた自然の一部に他ならないことを痛感する。
それはあたかも、北海道の道民の血税が使われて、「創世1.1.1.区」という過去の人の誤りを正すために、お金が使われるように、けっして切り離して考えられない。そして、それもまた未来において不正解だったということがないとも限らない。
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