風水山道
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2008年5月
2008/05/31 15:43:50
エドワードの観た京都Ⅱ

                                              文:エドワード

二日目の朝、アンドリューの顔が艶々しているのが印象的だった。前夜にゆっくり温泉に入った為か、京都駅で合流した時の顔とは全く違っていた。そういえば、箱根に行ったときのアンドリューの顔写真も非常に艶々していた。なにしろ幸せそうである。

温泉効果なのか、パワースポット効果なのかは定かでないが、綾部に来て以来、アンドリューの何かが変わり始めていることは確かだった。日に日に彼の顔つきは明るく健康的になって輝いて行くのが分かるのだから。そういえば、香港風水スポット巡りから、ずっと同じ部屋を共有していることもあり、ここ数年で、アンドリューは自分の家族以外で一番長く、同じ時空を過ごしている人物となってしまった(笑)。

さて、この日は風水的にもライフスタイル的にも激しい一日であった。宿泊施設を後にし、まず最初に向かったのは父母山である○○山。この山からの景色を眺めることが最初の課題。Dragon2_2

車体の低いプリウスで車底をゴツゴツとぶつけながら、そして、砂に嵌まった車を後ろから手で押しながら、何とか山頂に到着すると、素晴らしく美しい景色がそこには待っていた。何度も車を停めながら、写真を撮影し、竜の流れを追った。高地からの眺めで、龍穴もあるはずと頭を過ぎったが、ここでは龍穴のことは一旦忘れることにした。

Temple2 そして山頂に来た所で車から降り、近くにあった古寺まで歩くことにした。その寺は既に廃墟と化している様子だった。おそらく昔は人が沢山訪れていた寺だったのだろう。

しかし、今は水も枯れていたし、風水的にも宜しくないものと言えるだろう。やはり手入れが大切である。また、個人的な感想だが、この古寺は奇怪な妖気を放っているように感じた。

その場を後にして、次に父母山(「父母山」は風水の専門用語です)の山頂にある樹齢2000年の大木を目指した。

2000yearsRoad 樹齢2000年の大木は雑林の中に眠っていた。道なき道を突き進み、ようやく発見!

皆、はしゃぎながら大木と戯れていた。ある者は猿のように!また、ある者はパンダのように!僕たちはいつでも少年だ。もちろん写真撮影もバッチリだ。ここでは思い出に残る出来事があったが、一生語ることは無いだろう(笑)。

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2008/05/30 0:00:00
隠者の生活

隠者の生活

随分と昔から感じることが出来て
その一つの考えが ただ ここにあって
それが どこから来たのか分からなくて

随分と盲目にもなり ただ受け入れていた 
ふと ぼくらは 気づいたのだ
澄んだ明日が来ると信じていたいから

たとえ世界があなたのために準備ができていないとしても
きっと この光たちは いつの日か明日を照らす

 ふと、詩でも書きたくなるときがある。そんな時間があるならば、隠者と共にセットしている原稿でも書けと、周りから怒られそうなものだが・・・。
 今は、あまり多く言えないのよね。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)

 ただ、ぼくらは手をこまねいて、「随分と盲目」にっなってるつもりはない。それはあたかも、ぼくが盲(めしい)になったとしても、ぼくは、この世界を感じるのだから。
 
 なりたい何かになれるように。なれるならば、行過ぎた夢でもなれるのだろう。

 いつか、この世界が、この高まった情熱を受け入れるのだろう。
 
 それは、儚く散った夢の断片。

 変わりゆくぼくたちを見つめる変わらない人との約束。

 隠者たちの長い沈黙は、一つの結晶となり、最後のジクゾーパズルのピースが揃う。いま、残されたものたちの心は、一つとなり、一つに紡がれて行く。

 皆、先生のことが大好きだったから・・・。

 ほら、皆、先生のために、先生が散りばめたジクゾーパズルを持ち寄る。こんな奇跡みたいなことが起きるんだ!ぼくの血は、熱くたぎり、感動に打ち震えている。何人も、ぼくたちのこの熱量を量れやしない!

 張明澄先生に捧ぐ、『明澄透派 奇門風水大全』の完成は近い。

 願うことならば、ぼくらが、明澄透派奇門風水の秘伝を余すことなく日本で全て公開することをお許しください。

 ただ、先生の名誉のために、世に送る一冊。失われた名誉は回復されなければならないのです。

 そして、この世界が準備が出来ていなくて、受け入れられなくても、「先生!それでも、澄んだ明日が来ると信じていますから!」。

 今度は、この変わり行く世界を変わらないぼくらが見つめるのだ。

 
Kyoto20214 ←旅の途上、羅盤と休憩。「磁北」で、チャッチャッチャッ。奇門風水は「真北」じゃないのよね。真北だったら、羅盤いらないでしょ?
 あと、立向盤なんて使わないのよ本当の奇門派風水はね。
 来月から「明澄透派 羅盤」製作のために、隠者と共に台湾に行ってきます。奇門派の風水で、ぼくの知る限り、歴史的にも技術的にも、明澄透派以上の流派は存在しない。ちなにみに、正しい明澄透派の風水は、最後まで張先生の傍に居た隠者たちの元に口伝と共に隠されていた。そう、そこに、ぼくらの心が込められる時、「明澄透派 奇門風水」は、伝統に紡がれた魂を持った存在に昇華されるのだ。そして、張先生の名前を冠した「奇門遁甲」をめぐる百家争鳴は、この魂の本の出現と共に幕を閉じるのだろう。

 「もう、終わらせないと。先生の名誉が汚された、この世界を」。そのために、ぼくらは立ち上がった。 名を正すのだ!

 全てが終わったら、ぼくらは先生の墓前に、叩頭(ぬかず)く。

 そして、久しぶりなのに、お帰りの顔をして、会えるんだ。

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2008/05/27 14:18:38
エドワードの観た京都Ⅰ

                                               文:エドワード 

 5月18日の午前中、京都へ向かうために、友人と共に東京駅から新幹線に乗り込んだ。今日の目的地は京都の綾部だ。もちろん綾部には行った事はない。ダニエルによると綾部は素晴らしい気が宿る場所だというので楽しみにしていた。 

 そして、僕たちの乗る新幹線は京都へ到着し、一寸早く着いていたアンドリューと合流。ここからレンタカーにて移動することにしていた。レンタカーはトヨタ・プリウス。エコカーであり地球に優しい車である。私たち風水愛好家の五人にピッタリの車でもある。タイスンの運転で、京都市内を寄り道することなく綾部に向かった。 

 京都篇では、色々な場所に訪れる予定でいたが、なかでも綾部が今回のメインディッシュ。まあ、風水の旅といっても、実態は放浪の旅でもあるので、自由気儘に無計画で旅は進む。これが香港パワースポット巡りから始まった僕たちのスタイル。

Photo  京都市内を突き抜けて、徐々に綾部に近づく。綾部に入ると、早速、放浪の旅らしい寄り道が始まった。まずは○○川。適当な場所に車を停車させ、各々がカメラを持って水の流れを観ることにした。風水を観るならば水竜を観るのは当然のこと。・・・と、堅苦しいことは抜きにして、単に水の傍は気持ちが良いから寄り道した、と言った方が良いかもしれない。気持ちが良いのは風水理論を論じる以前の大原則である。ここでは思い思いに撮影して、まずは宿泊施設へのチェックインを目指して再び動き出すことにした。

Photo_3  宿泊施設に到着し、部屋に荷物を置き、茶通の新茶を飲んだ。この時飲んだのは茶樹年齢が、2年物の珍しい杉林渓烏龍茶で店頭にはまだ並んでいないお茶である。初々しい香りが鼻をすっと駆け抜ける。少し休んだ後に再び綾部探訪に出ることにした。辺りはまだ明るいのだ。 そして僕たちが向かった先は、ダニエルの友人の祖父の家。随分前に訪れたことがあるそうであったが、最近は訪れていないとのこと。かすかな記憶を頼りに捜索が始まった。

  そういえば、綾部は既にパワースポットを形成している地域であった。私、エドワードはすっかり綾部自体がパワースポットの中に有るということを忘れていたが、綾部を闊歩している僕たちの車が、ある曲がり角を右折してある集落に入った途端、明らかに、この土地の「気」の性質が変わったことに気づいた。そこはダニエルさんの友人の祖父の家がある集落である。ここでは「気」そのものに、パワーが宿っていることを実感、再確認した次第である。当たり前のことの様だが、こういう気の変化を感じるのもまた楽しい。

 結局、その家には既に祖父母さんは居られず、親戚の方が住んでいるようだったので、その場を後にし、直ぐに近くを流れる○○川へ向かった。僕たちの風水ライフスタイルを表現するかの ように、急遽「川をジャンプで飛び越えよう!」ということになった。いつも行き当たりばったりの無計画さが楽しかったし、「この川を越えれば何かが変わる!」、そんな気がしていたのも事実であった(笑)。

 都会の電磁波にまみれた日常生活を忘れて、田舎のちっぽけな川を自分達の力で飛び越えることに意義を見出していた。少年に戻った瞬間だ。そう、僕たちはウソが嫌いな少年風水探偵団。「ここで川を越えなきゃ、ウソだろう?」、そんな声が頭に聞こえていた。先頭を切ったのはダニエル。その後、私、エドワードが川に入り、何とか全員が川を越えた。

Photo_2  しかし、この旅の為に用意したマウンテンブーツがびしょ濡れになったのは言うまでもない。ジャンプ力も思ったほどになく、ズッポリと足が川に入ってしまった(笑)。腰から下が濡れてしまい、川の辺でブーツを脱ぎ捨て、皆で地面に座り込むことにした。

 僕達の周りには何者にも支配されない穏やかな時間がただひたすら流れていた。ただ、この地面に座っているだけで心地良い。パワースポットに身を投じた自分の心が安らいで行く感覚を楽しむこと数分・・・・・・、本当に秘境・綾部まで来てしまった事を実感したのだった。

 気がつくと、辺りは暗くなっていたので宿泊施設に戻ることにした。そういえば車まで戻る途中、電流の流れるアニマルキラーにビリビリやられないようにと、僕らは匍匐前進を強いられる場面もあったっけ(笑)。

 帰り道の車中から空を見上げると、綾部の漆黒の闇に満月がポツンと現れていた。

Moon1  ぼんやりと霞んだ満月は、都会のコンクリートジャングルに住む僕達の疲弊した心を回復させてくれ、奥底にある本当の自分と対峙する時間をも作出してくれたように思う。

 初日から充実していた。綾部に来ることが出来て、本当に良かった。 happy02

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2008/05/26 22:39:54
京都撃壌集-綾部篇Ⅰ

                                               文: ダニエル

 京都から戻りました。色々と書くべきことが山積みで(仕事も)、どの辺りから手をつけようかという具合なのですが、一番好きな場所から行くことにします。

 今回も、四泊五日が、五泊六日になってしまい、予定よりも随分と時間がかかってしまいました。

 水龍(水口向+龍)を追いかけ、福井県まで踏み入り、山龍を追い、滋賀県まで滑り込み、京都から、三都物語りなってしまいましたので、このコーナー『風水西遊記』も、三都(京都・滋賀・福井)に分け、地域ごとに投稿したい次第です。

 また、お仲間の皆がそれぞれに感じたものを発表する形式で、このコーナーを楽しめたら良いなという狙いもありますので、ぼくらのライフスタイル「風水のある旅」を皆さんと満喫できたら幸いです。
 
 5月18日(日)、朝九時の待ち合わせだったが、出発間際の前日、お仲間ノエルの登山道具一式を買うのを手伝わされ、買い物だけで、6時間ほど時間を消費してしまい、前日に用意も何も出来なかったのである。と謂うのも、その前の日にも、トレッキングシューズやら、色々とお仲間と買いに行ったのだが、その日、閉店前際に到着したので、自分のものだけさっさと買って、ノエルに、「自分のものだけ買った。裏切り者。」扱いされたので、次の日も同行せざるを得なくなったのである。(。♋ฺ‸♋ฺ。)

 店員さんが、貧血で倒れそうになるほど、品定めが厳しいノエルは、やはり、女の子なのだろう。店員さん曰く、「こんな難しいお客さん初めてです」と、泣いていた。(。♋ฺ‸♋ฺ。)

 とはいえ、ノエルは体力がないため、グッズ選びの品定めをはじめて、5時間を過ぎた辺りからは、急激に思考力が麻痺したらしく、必要なリュックなどは、ダニエルが適当なものを選んで背負わせ、そのまま、レジに向かわせたりしたため、最後の一時間で、ほとんどの買い物を終えたのである。最終的に、本人はいくら使ったかも憶えていなかった。

 出発日の朝方、仕事が片付かなく、「えらく、すみませんのう。十時にしてくださいな(京都調)」と、朝の九時にお仲間に嘆願する。多分、皆は、電話を切った後に、「またかよ!」と、エド辺りが愚痴をこぼしていたのは、間違いないだろう。「また、なんです」。(。♋ฺ‸♋ฺ。)

 とはいえ、この時、アンドリューも、1時間遅刻をしていて、皆に置いて行かれたと勝手に勘違いして、遅刻したアンドリューが、我々よりも、先に新幹線に乗り込んでいたのは、後々判明した悲しい事実だった。アンドリューは、いつも勘違いして、先走り、トンデモないことをしてしまう。(。♋ฺ‸♋ฺ。)

Img_9028  ひかりに乗ったアンドリューに対して、我々はこだまだったので、わずかな差で、京都で合流できた。この間の旅で、装備が軽率すぎて、山中痛い目にあった同志、アンドリューだが、なんとジーパンを履き、肩掛けカバンを肩にかけていた。まるで、浪人生のようないでたちである。そう、この学習能力の高さが、アンドリューの売りでもある。そして、何故か、我々を笑かしてしまうのである。(。♋ฺ‸♋ฺ。)

Img_8897 素早く、レンタカーを駆り、京都市内を素通りして、綾部の○○村に向かう。車で、1時間半ほどで、目的地の入り口に差し掛かる。我々は、そこで車を止め、入り口に立ったことを実感する。こののどかな、風景は、綾部の始まりを物語る。

Img_8941 いつもように、鳥瞰図や衛星地図上から形勢を見極める。そして、国土地理院の25000分の1マップで、等高線から、地形を再確認する。実際、風水とは、地理術でもあるのだ。そして、この時点で、おおまかな必要最低限の判断は終わる。時代は便利なった。もちろん、ダニエルは、職人気質なので、自分でその地に行って、地面を踏みしめ、感じられるものを大事にします。


Img_9066Img_8908  水源の豊富な、綾部○○村は、のどかな田園風景が続くのである。どこからでも水を引いてこれる利点があり、近年では、水の里などとも呼ばれている。我々は、その辺を流れる水を手ですくっては、「飲んでみな!」と互いに言って、飲んだフリをして、相手が飲むのを見て、安心して飲んだり、楽しんだりしたのである。もちろん、誰もおなかを壊さなかったので、すごく安全なんです(我々で人体実験済み)。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)

Img_9056Img_9046 もちろん、このパワースポット水の里でも、近年目まぐるしい変化が起きていることが、目に取れて分かった。写真にあるように、使われていない田んぼがあまりにも多いのだ。これは、高齢化と、若い人の里離れが続き、田んぼを耕やしたImg_9059Img_9050り、田植えをする人がいないのだ。限界集落も増えてきた・・・。僕の知っている綾部が確実に変わって行くのを感じた。この肥沃で、清らかな水が溢れる大地から人々が、一人一人と薄汚れた欲望の都へと消えて行く・・・。このように村が寂れてきているのを悲しく感じた。 田は無くとも、水は、ただ流るる。人がいなくなってしまう景色に、人の存在意義はいずこに?


 この村に住まう友人のおじいちゃんの家で田植えをしたのが、今となっては懐かしい。友人のおじいちゃんは、言っていた「この村の人々が鋤を手放す。農協に搾取されるだけの生活に疲れた人々は、いつしか、トラクターも、高い肥料、農薬も買わなくて良い生活を求めるのも当然なのだろう」と。そう、これはこの国の問題でもあるのだ。

Img_9062Img_9119  村自体が、素晴らしい磁場を形成する綾部○○村では、複数の過脈が連なり、幾つかの要所で確実に龍穴が結ばれているため、その幾つかを実地で見るのが、今回の目的でした。そのうちの一つは、明堂にあたる場所の地面から鉱物を沢山含む、水がじわりじわりと溢れてきており、天然の龍穴を形成し、その龍穴から読み取れたことは、限界集落が増え、衰えてきた綾部を再び復活する明るい兆しです。その龍穴は、現在は機能していなかったのですが、人が手を加えることで、確実にブレイクします。


Img_9149 綾部に見られる高齢化で増え続ける 限界集落を救う突破口になるかもしれません。そこでは、確実に温泉が出ます。それを利用して、観光や地域特産品を特化すれば、忘却され、社会から抹殺されそうになっている限界集落を必ず救うことが出来ると思います。

 そして、その土地の龍穴を使い、その土地の人々を救う。ここに、風水が「地靈人傑」であったと言われる原点があることを再認識しました。

 今回の旅で痛感したのは、「風水は人を助け、救う技術」であるという事実です。

 それができる風水であってこそ、この世に有益なものなのではないでしょうか。

 ぼくは、綾部の○○村にある沢山の限界集落を救うために、自分の持てる風水術を駆使して、この村に貢献したいと思います。理由は簡単で、「ぼくは綾部を愛しているし、そうしなくちゃいけない気がする」からです。(・´з`・)

Img_9612 計らずとも、今回の旅の途上で迎えてしまった33歳の誕生日の日、亀岡の大本教本部の本殿にて瞑想しながら、ぼくはそんなことを漠然と思っていました。

Img_9638 ぼくは、大本教徒では、ありませんが、習ってきたものの中には靈脈的に関係を持っているものもあります。また、大本教は、綾部から発生しましたが、大本教に限らず、形骸化した宗教は、綾部の増え続ける限界集落に見られるように、地域の困った人すら救うことができていないのが現状です。
Img_9634 本来、宗教は、政治の手の届かぬところなどで、貧困にあえぐ人々に手を差し伸べるなどのボランティア行為を宗教的美徳として実践していたのではないでしょうか。今は・・・無。ヽ(`△´)/

 綾部には、古き日々の、大本教を誕生させたように、かつては神聖な気が溢れ出していました。それは今も、渦巻いています。ただ、先に述べた龍穴のように、風水が正しく機能し、活用されてないのです。明らかに、風水ができる人間のテコ入れが必要です。ぼくは、自分の愛すべき原型風景がある綾部のために何とかしたいと常日頃考えておりました。そして、ようやく、今回その兆しが見え始めました。自分の風水の実践として、綾部は、ぼくの課題となりました。

 今回は、お仲間の皆と、「綾部の○○村を救うために、一緒に何とかしよう!」熱く誓ったのでした。

 この様に、「世に役立つもの」として、風水が活用されてゆく時、風水は、「術」から、「思想」へと飛翔すると信じています。

 少し、先のことになりそうですが。ぼくは綾部の再生に取り組みたいです。ちなみに、今回発見した龍穴から、志ある人々を集める気配を既に漂わせていました。そして、その様な人たちが、既に何らかのアクションをはじめたと聞きます。是非、協力したい次第です。「志のままに」が、ぼくの風水のテーマです。

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2008/05/25 19:53:17
風水言志説

「詩は志の之く所なり」とは、素晴らしく心に響く。
今回、京都から戻って、「風水は志の之く所なり」と痛感している。
このブログ内の「風水西遊記」にある綾部篇での体験に負うものが大きい。
どれほど、大きいかというのは、読んでみて下さいな。

綾部での体験が、「詩言志説」と重なり、ここに自分の「志し」を整理する意味でも、詩言志説を考察し、己の「風水言志説」の成り立ちを考えてみたい。

 □詩言志、歌永言、声依永、律和声。 『書経』尚書 堯典

 詩は志を言い、歌は言を永くし、声は永きに依り、律は声に和す。

 詩は人の志を言葉に言い表すものであり、歌は言葉をながくのばしてうたうものである。ながくのばしてうたうのに音がつけられ、音は十二律(の絶対音)と調和してメロディとなる。

 □詩者志之所之也。在心為志、発言為詩。 『詩経』大序

 詩は志の之く所なり。心に在りては志と為り、言に発して詩と為る。

 詩は人間の志が動いてできるものだ。心の中にあるときは志だが、言葉に言い表されると詩となる。

 □能楽時與萬物之自得也。
 聲成其文而謂之音。是知、懐其時則謂之志。其物則謂之情。發其志則謂之言、揚其情則謂之聲。言成章則謂之詩、聲成文則謂之音。  『伊川撃壌集』序

 能く時と万物の自得を楽しむなり。

 声その文を成して、之を音と謂う。ここに知りぬその時に懐(おも)えば、即ち之を志と謂う。その物に感ずれば、則ち、之を情う謂う。その志を発すれば、即ち之を言と謂い、その情を揚ぐれば、即ち之を声と謂う。言が章を成せば則ち之を詩と謂い、声が文を成せば、則ち之を音と謂う。

 「時と万物が自得しているのを楽しむ」とする邵雍(1011年-1077年)の人生観は、正しく「楽」であり、それは邵雍の見つめる世界観でもあった。

 このような詩観である「詩言志説」は、邵雍に到り、二系列に類型化され、天下の大儀を失った詩に対する嘆きとして反映された。

  時-志-言-詩
  物-情-声-音

 物を時と関連させて読み解く哲学詩の始まりであり、それは五術にも大きく反映されて行くことになる。そのようにして、「詩言志説」は、『書経』から『伊川撃壌集』に到り、「詩言志時説」となり、「時と物」の因果関係を持つ二元論として成り立ち、「事物は時と共に姿を変えるが、其の関係は詩として保存され、音と成って甦る如し」関係を言っているように自分には思える。

 風水も時代の影響を受け、技術や方法論は変わるが、其の本質は志において変わることがないはずである。其の志とは、風水を扱うものの心なのではないだろうか。

 私の風水も、かくのようにありたいものである。

   風水者志之所之也。在心為志、発言為風水。

   風水は志の之く所なり。心に在りては志と為り、言に発して風水と為る。

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2008/05/16 14:07:15
風水のあるライフスタイル 『風水のある旅』Ⅰ

 最近、「お家にいないんじゃない?」、「どこで遊んでいるね?答えるアルヨ」と、色々と人に聞かれることもしばしばですが、「遊んでないアルネ」と、答えてきましたが、さすがに、箱根を日帰りで帰って来ると言ったきり、伊豆まで一周して、四泊五日で戻ってきた日には、警察に捜索願を出されもおかしくないのかもしれません。

 そこで、ブログで、どこで遊んでいたかを述べるならば、縁ある人、同志が集まって、一緒に出かけて、「風水のある生活」をうたい文句に、「風水と一緒の生活も良いんじゃない?」というライフスタイルを愉しんでおりました。

 また、それは巒頭を観る風水から導き出される「風水のある旅」という形で、景観を愛し、おいしい空気をいっぱい吸って、地方の特産物に飛びつき、宿泊施設も、風水の世界観に基づき、選び、そして泊まるという、まさしく「風水のあるライフスタイル」をエンジョイしています。

 ただ、宿泊施設に関しては、TPOに基づくと言いましょうか、風水的に最高の旅館を発見しても、「一泊4万円」、しかも一人につき・・・。恐るべし、TPO風水。

Tpo 例えば、伊豆湯ヶ島にて、我々にTPO風水を教えてくれた某旅館。風水的に素晴らしい。そして、値段もまた素晴らしいのである。我々一向は、ここの一泊分の宿泊費が、財布に残された我々の生活費をはるかに凌駕していることに気づき、涙して、退散した。そして、心に誓ったのである。「悪鬼・羅刹となって、このTPO風水を乗り超え、再びこの旅館に戻ってきましょう」と。

 俗に言う、「尋龍点穴でもしてるんでしょ?」とも聞かれますが、そういった定義で、パワースポット、いわば龍穴を探すだけの旅かというとかなり違った側面もあります。

 まあ、簡単に言ってしまえば、「風水のあるライフスタイル」をエンジョイしていることに他ならないのですが、それだと、「ただ、遊んでいるだけアルカ」と言われそうなので、もっと説明を加えるのならば、まず、龍穴と呼ばれる言葉の説明からはじめましょう。

 まず、専門的な説明になりますが、「龍穴」には、少なくとも以下のような最低限の条件を越えた厳しい審査があります。

<龍穴定義>
 ・入山看水口 (入山し水口を看る)
 ・包起來 (守られている)
 ・吐平地出來 (平地が出来上がっている)
 ・有龍穴.穴位會開屏帳 (龍穴は、屏や帳のように開かれている)
 ・過脈的地方一定有束氣 (過脈あるところに束氣が必ずある)
 ・來龍一定要過脈束氣 (來龍は過脈と束氣を必要とする)
 ・吉九曲水 (吉をとるは九曲水)

 ところが、古典を紐解き、読解を進めると、「龍穴」という定義に当てはまらないものが沢山出てきます。例えば、「怪穴」などは、一般に知られていませんが、楊救貧は、自著の古典の中で「怪穴」を「よく熟考して使用すべし」と述べており、使用不可とは言っていないです。

 ぼくが、現実の現象で直面にしてきた実際は、厳密な定義の龍穴よりも、「定義しきれない現実」でした。

PhotoPhoto_2Photo_5  それは、時として、青龍に貯まった水溜りが織り成す、山の中腹に出来た不思議な池、そこでは、人間三人分くらいの胴回りの樹木が沢山そびえ立ち、尋常でない場を形成しています。このパワースポットの効能は、「思考の沈静化」。教え諭し導いてくれる老賢者との対話を感じるような場所。来るものを我が子のように迎え入れる温かい両親のような存在を感じます。どちらかといえば父親的。幼少の頃、多くの人が両親に守られながら育った一時を思い起こさせる慈愛に満ちた気が流れています。特に両親との関係や心にトラウマを持った人にはお勧めです。過去の良い記憶が戻り、懐かしみの中に慈しみを感じるでしょう。瞑想に最適です。


Photo_4Photo_3Ok   逸れて広がる青龍と重ボッタイ白虎に守られ、明堂の下は、活火山。下から噴出す、濃密なイオウ香と気、それにあてられてか観光客は途絶えず、人を惹き付けてやまない魅力がある。風水の教本に使えるかのように、整った形勢・格局からは、うかがい知れない地獄の賽の河原のような明堂。このパワースポットの効能は、「精神病に良い」です。鬱の人、気性の激しい人、怒りやすい人、バーンアウト(燃え尽き)症候群の人にお勧めです。不思議と韓国人観光客が圧倒的に多かったです。きっと、気性が荒く激しい韓国人は、ここで癒されちゃうんでしょうね。

 それぞれの場所が、必ずしも、「龍穴」定義に基づかない現実との符合しない世界を見つめた結果、世界の見方がかなり広がりました。そのため、この定義しきれない現実を愉しむに当たって、ぼくが提唱するのは、「風水のあるライフスタイル」を通じた旅です。

 もう既に、香港を含めて、お仲間と三回ほど出陣していますが、かなり、すごい成果をたたき出しています。もちろん、このすごい成果とは、「風水を通じて愉しむ」です。
 それらは、やがて記事にして出版しますね。+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚

 そんな、コンセプトを共有できる人が増え、この奇跡が生み出した自然環境と共に生きることに楽しみを覚え、自分の存在を自然の中から見つめなおす、「生きているって、それだけで素晴らしい!」と、感じる人が増えることを願ってやみません。

 そう、いつだって旅の目的は、最終地点は、「自分と出会う」ことに他ならないのですから。

 そして、今、取材及び執筆中の『風水のある旅~日本全国パワースポット巡り』が多くの人に読まれ、この本を通じて「風水のあるライフスタイルっ愉しいじゃん」と多くの人に伝えたいこの気持ちが、ぼくたちの全国行脚をサポートしています。

 週末から、一週間ほど、お仲間と共に京都に行きます。ぼくの愛する綾部に滞在します。ここは、ぼくが日本で最も愛する場所です。この場所も皆に紹介したいですね。そして、感じて欲しい「こんな場所があったのか!」と。

 風水は、そんな場所を探すのを全面的にサポートしますよ。

 *八宅とか、玄空とか、理氣だけでじゃ無理アルカラネ。(╬◣д◢)ムキー!!
 *地名・場所名に関してのお問い合わせはご勘弁を。本で全部、もっと詳しく載せますので。..+'(◕ฺ∀◕ฺ)..+* ゎぁ

                  <関係ページ>

          風水のあるライフスタイル 『風水のある旅』Ⅴ

          風水のあるライフスタイル 『風水のある旅』Ⅳ

          風水のあるライフスタイル 『風水のある旅』Ⅲ

          風水のあるライフスタイル 『風水のある旅』Ⅱ

          風水のあるライフスタイル 『風水のある旅』Ⅰ

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2008/05/01 3:05:09
戦士の涙

 二日前の夜。台湾から、「ある戦士」からの電話を受けた。 
 いつになく、緊張したもの言いなのが、何かきな臭さを感じさせる。
 帰国後、初めての電話でのコンタクトとなる。 
 昼間のセミナーの疲れを軽く残しながら、深夜1時。

 幾つかの古典本を持っているかたずねられる。

 勉強したかをたずねられる。

 深いため息としばしの沈黙・・・。

 運命は、いつもこうやって、大事なものを引き裂き、切り裂き、残されたものは、涙だけを集める。

 肺に入った空気が、重たく胸を突き上げる。

 ある戦士: 「精密検査を受けてきた。心筋梗塞で、かなり危ないらしい・・・。」

 今まで、己の身体を省みることがなかった戦士が、最後の力を振り絞ろうとした時、長く苦しい苦悩との戦いの末に、戦士の身体は、既に、修復不能な段階まで来ていた・・・。

 ダニエル: 「これからじゃないのか! 俺たち、一緒に、この世界を変えるんだろ!」

 ある戦士: 「お前は、まだ若い。俺の嫡伝弟子として、衣鉢を継いでくれ。そして、一緒に変えるんだ。 導正社會不良風氣 (この間違った気風の社会を正しく導くんだ!) 」

 心筋梗塞という病気は、現在の死亡率は全患者の12~30%程度とまで減少したが、医師と看護士による綿密な治療と看護が必要となる病気だ。彼が、医師から治療と看護を受けるはずがない・・・。現代医療を殺人介護と決めて、治療を拒んだ張先生のことを、思わず思い出してしまう。

 ある戦士: 「俺は、お前に会って、最後に何かを残したいと願うようになった。それまで、そんなことを考えたことは一度たりともなかったんだ。これも、縁分なのだろう。そして、お前に残すものは、目に見えなくても、触れられなくてもいいんだ。それは、お前の心に必ず宿るものなのだから。どうか、衣鉢傳人になることを了承してくれ。そして、証明してくれ、俺の培ってきたものが正しかったと!」

 もう、どんな分野であろうと、拝師しないと決めていたが・・・。この戦士の無念を晴らせなければ、ぼくは、もはや漢ではない。

 ダニエル: 「そんなこと言わないでくれ。最後まであきらめないでくれ!」

 我らが身が朽ちようとも、伝統文化は、伝承され、継承されてゆく。そこにあるのは、想いの連鎖なのだ。ぼくは、この想いを噛み締めた。強く。もっと、強くならなければ、ぼくの心が折れてしまう。この心の中にある鋼を鍛え上げなくてはならない。皆の想いを詰め込んで、決して、折れてはならないから。決して、折れない剣は、自分一人で維持されているわけではない。だから、「決して折れない剣」なんだ。 

 そして、口舌に尽くしがたい苦悩を乗り越え、「最も偉大な病者、最も偉大な罪人、最も偉大な呪われ人」となる。皆の想いを繋いで、心の地平を越えて耕し続け、そして、たどり着くんだ。

 ランボーは、そんな世界を見つめていたのかもしれない。

「見者」たるべし、「見者」となるべし、と私は云うのです。「詩人」はあらゆる感覚の、久しい、宏大な、熟考された不羈奔放化によって「見者」となるのです。恋愛の、苦悩の、狂気のありとあらゆる形式です。己れ自身を探し求め、己れの裡にある一切の毒物を汲み尽し、その精髄のみを保存するのです。口舌に尽くし難い苦悩、その時こそ、あらゆる信念、あらゆる超人間的な力が必要であり、その時こそあらゆる人々の中で最も偉大な病者、最も偉大な罪人、最も偉大な呪われ人となり、―果ては至上の「学者」となる!

-アルチュール・ランボオ



 

                     <関係ページ>

                    「ある戦士さんとオレ物語(日本篇2)」

                    「ある戦士さんとオレ物語(日本篇1) 」

                    「ある戦士さんとオレ物語(台湾篇1) 」

                    「戦士の涙」

                    「ある戦士との対話」

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